2013年に、バレンティーノ・ロッシがヤマハのファクトリーチームへ復帰する。2000年から2003年までホンダ、2004年から2010年までヤマハに在籍し、その11年間で計7度の総合優勝を達成した。2011年には満を持してドゥカティへ移籍。イタリアのメーカーでイタリア人ライダーがチャンピオンを獲得するという大きな夢に挑んだが、実際には苦難の連続で、毎戦低位に沈むレースが続いた。2012年までの2シーズン35戦で表彰台を獲得したのは2位が2回と3位が1回のみ。マシン開発面でも本人のリクエストどおりに進捗する様子は見られず、フルイタリアンパッケージの王座獲得は絵に描いた餅に終わった。

スーパースターらしからぬ低迷が続いたため、来季の去就はドゥカティからの離脱が確実視されたが、一方ではドゥカティ側も必死の慰留を行った。結局、7月にヤマハへの移籍が確定し、3年ぶりに古巣へ復帰することになった。

11月の最終戦バレンシアGP翌々日に行われた事後テストでは、3年ぶりにヤマハのマシンYZR-M1に跨がった。雨天のために理想的なコンディションからはほど遠い状態だったが、それでも何度もピットアウトし、後輪から派手に水しぶきを上げながら精力的な周回を重ねた。翌日は、バレンシアよりも気象条件の良さそうなモーターランド・アラゴンへ移動。しかし、こちらでも雨にたたられてしまい、満足のいく走行はできなかった。結局、2月上旬からマレーシア・セパンサーキットで行われる合同テストまで実質的な走行はお預け、となった。ロッシは、年内いっぱいドゥカティとの契約が残っているために、雨天とはいえ3年ぶりに走らせたヤマハのマシンの印象を語ることはできない。しかし、ピットガレージで周囲の人々と雑談する際の嬉々とした表情や、雨の中でも精力的に走り込む様子が、実際のことばを待つまでもなく、古巣へ復帰した彼の心境を何よりも雄弁に物語っていた。

経済誌「Forbes」の長者番付でも常に上位にランクされるスーパースターだけに、2013年シーズンにロッシがどれほど活躍できるのか、世界中から注目が集まることは必至だ。過去に天才の名をほしいままにしてきた彼も、来年には34歳になる。体力面だけを見れば、アスリートのピークは既に過ぎている。しかし、マシンを速く走らせるノウハウや狡智に長けた戦術面は、長い年月の蓄積でさらに磨きがかかっている。

「チャンピオンの獲得は難しいかもしれないが、自分はまだ充分に表彰台を争える能力を持っている。何戦かでは勝つこともできるだろう。それを証明したい」。ごく親しい周囲には、そんなことを漏らしているという。(モータージャーナリスト・西村章)