年間最終戦の第18戦バレンシアGPで、日本人選手の中須賀克行(ヤマハ・ファクトリー・レーシング)が、最高峰モトGPクラスの2位表彰台を獲得する快挙を達成した。

本来のファクトリーライダーであるベン・スピースが負傷欠場し、その代役として急遽参戦が決定したのは10月下旬。中須賀は、全日本選手権に参戦しながらヤマハの開発ライダーという役割を担っているが、モトGPの決勝を走るのは今回が3回目。最初は、ホルヘ・ロレンソの代役で参戦した昨年のバレンシアGP。2回目が、ツインリンクもてぎで行われた10月の日本GP。昨年のバレンシアGPでは6位に入賞し、今年の日本GPは9位。今回の目標は「あくまでも理想は高く、昨年を上回る結果を残したい」と話した。

金曜から土曜午前までは雨模様の天候で、土曜午後の予選でようやくすっきりと晴れたドライコンディションになった。決勝に向けて獲得したグリッドは6列目16番手。日曜も雨が降り、決勝レースが始まる時間帯の路面は、湿った場所と乾いた場所が交じって判断の難しい状況だった。選手たちのタイヤ選択もウェット用とドライコンディション用に分かれたが、中須賀はドライ用のタイヤでグリッドにつき、スタートした。序盤数周は低位に沈んだが、ウェットタイヤで走り出した多くの選手がピットへ戻ってドライ用タイヤのマシンに乗り換える間も安定したペースで走行を続け、6周目には3番手に浮上した。

以降の周回では他の選手と激しいバトルを繰り広げたが、当の中須賀自身は「前の選手たちがピットインや転倒で入り乱れて、順位もわからないまま」走行を続け、自分の位置を把握したのは、ようやく残り5周になった頃だった。あくまで理想を高く、とレース前に掲げた目標を実現した今回の結果に「あまりにもできすぎて怖いくらい。(タイヤ選択や路面状況など)すべてがうまい方向に転がっていった」と笑みを浮かべる。「できすぎて怖いくらい」と語るのも当然で、この参戦に先だち、全日本選手権で年間総合優勝を達成している。そして、今回のレースウィークでは決勝前に第二子が誕生した。「忘れられない一年になった。ライダーとして最高です」と呟く言葉にも重みが感じられる。

さらに、今回の表彰台にはもうひとつ重要な意味がある。1986年以来、日本人選手は毎年いずれかのクラスで、最低でも年に一度は必ず表彰台を獲得してきた。しかし、今季はどのクラスでも誰ひとり表彰台に上がることができないでいた。26年間連綿と続いてきた記録が途絶えそうな窮地は、年間最終戦の最後のレースで命脈がつながれたのだ。この日の中須賀克行は、間違いなく日本の二輪モータースポーツの救世主だった。(モータージャーナリスト・西村章)