巨人―日本ハムの日本シリーズ第2戦(10月28日・東京ドーム)で先発した巨人の沢村拓一投手が、一回にいきなり2人の打者に死球を与えた。陽岱鋼と中田翔両選手。ともに内角球を左手甲に受け、中田は痛みから途中退場した。シリーズ初出場の沢村投手が緊張して手元を狂わせたのは明らかだったが、打者への厳しい攻め方が頭にあったのは間違いない。

▽巨人に挑んだ西武

落ちる球が全盛のプロ野球では、打者の近くを攻める投手は減ってきているが、今年の大リーグの地区決定戦やリーグ決定戦を見ていると、打者の内角を攻める投手が目についた。レギュラーシーズンとは明らかに違う厳しさである。大舞台にかけるプロ選手たちのすさまじさを感じたものだ。

日本シリーズで名勝負の一つといわれた1983年の巨人―西武が思い出される。巨人に挑む新興球団の西武という新鮮さに加え、前年に中日を下して日本一に導いた広岡達朗監督の手腕が注目され大いに盛り上がり、取材した私もさすがに興奮した。サヨナラゲームが3試合もある、まれに見る大接戦となり3勝3敗で迎えた第7戦は西武球場で行われた。この試合も終盤までもつれる展開となった。

▽東尾の「えげつない球」

西武は七回裏、テリーが満塁の走者を一掃する二塁打で3―2と逆転しての優勝だったが、この七回の攻防でもう一人の主役となったのが西武・東尾修投手だった。2点リードの巨人は2死満塁の好機。ここで追加点を挙げれば、このシリーズ2勝の西本聖投手が西武を無得点に抑えていただけに、勝利はまず間違いなかった。

この回から救援登板の東尾投手が2死満塁のピンチで迎えた打者が3本塁打と好調の4番・原辰徳選手だった。東尾投手は2ストライク3ボールから外角スライダーで三振に仕留め、自軍の逆転を呼び込んだのだが、私の記憶に間違いがなければ、東尾投手の初球は原選手の顔あたりにいき、原選手がもんどり打ってよけた球だった。もちろん意識して投げた球で「えげつない球だなあ」と思う一方、この一球に原選手や巨人はやられたのだと結論づけるしかなかった。

▽フルカウント勝負

東尾投手は通算165与死球のプロ野球記録を持っている。シュート、スライダーで打者を揺さぶる投球は「ケンカ投法」といわれ、死球を受けた打者と乱闘になることもあった。251勝247敗という数字が物語るマウンド人生は、ある意味「プロ魂」を表していると同時に、高い投球術も示していると思う。3ボール2ストライクのフルカウントで勝負するタイプで、あの原選手との対決もフルカウントまで頭に描いていた、と試合後に語っていたと記憶する。昔はそうした投球の組み立てをする投手は多かった。かつての江夏豊投手もその一人だが、最近ではソフトバンクの森福允彦投手などがフルカウントで勝負する印象がある。

▽勝負の厳しさ

東尾氏は山本浩二氏率いるWBCの投手コーチに就任した。激しい試合が予想される中で、自分の経験をどう投手たちに教えるのだろうか。また、日本ハムと日本シリーズを戦っている巨人の原監督は、監督として2度日本一になった経験を持ち、WBC監督として国際試合も戦った。自分の経験を踏まえ、大きな舞台での心の持ちよう、勝負の厳しさなどを教えているに違いない。

一部スポーツ紙にこんな記事が載った。札幌に移った日本シリーズ第3戦の試合前、巨人・沢村投手が中田選手を訪ね“謝罪"したという。しかし、沢村投手は今シリーズでまた登板する機会があるかもしれない。1歳年上の沢村投手が「悪かった」と言いたい気持ちは分からないでもないが、今度対戦した時、思い切って攻められなくなるのでは、と想像したりした。なにせ、中田選手の弱点は「内角」にあるのだから。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆