ドラフト会議を直前に控えた10月21日、日本球界に衝撃が走った。高校球界最速の時速160キロの速球を投げ、ドラフト1位指名が確実視されていた岩手・花巻東の193センチの大型右腕、大谷翔平投手が日本のプロ野球を経ずに米国野球に挑戦すると発表した。これを受けて指名選手の見直しに入った球団も多かったはずだ。

▽田沢投手が先例

プロ注目のアマ選手の米球界入りは2008年の新日本石油ENEOS・田沢純一投手の例がある。田沢投手も1位指名確実だったが、日本プロ野球をパスしてレッドソックスと契約して大騒ぎとなり、日本のドラフトを拒否して外国球団と契約した選手は「高校生は帰国後3年間、大学・社会人は2年間、日本の球団と契約できない」の内規がプロ球界にできた。その抑止力も効かなかったばかりか、脚光を浴びる高校のスター選手のメジャー挑戦という前例のない事態に各球団は危機感を募らせている。「ただでさえ頭の痛い選手流失で、これで高校生が次々と海を渡ったら大変」というのである。ただ、これまで有力選手のメジャー流出に有効な手を打ってこなかった日本球界に知恵も実行力もあまり期待できないだろう。

それどころか、有力なアマ選手が自分の行きたい球団以外からの指名を“阻止"するために、大リーグ行きをにおわせて断念させようとする動きが後を絶たない。それからすれば、大谷投手は親や野球部監督の反対を押し返して決断したのだから、よほどすっきりしている。

▽米野球挑戦のパイオニア

日本のプロ野球選手が大リーグへの挑戦を始めるきっかけは1995年、当時近鉄の野茂英雄投手だった。大リーグ1号は1964年の村上雅則投手だが、これは日本プロ野球から米国へ野球留学をした時に大リーグへ昇格したもので、偶然の産物だった。野茂投手はドジャースを皮切りに延べ10球団で投げ、通算123勝109敗の成績を残したパイオニアだった。野茂投手以来、挑戦が今日まで連綿と続いているのである。

大谷投手は大リーグへのあこがれを「高校に入学した時から持っていて、自分の中でずっとメジャーでやりたい気持ちが強かった」と言い「早い段階、若いうちから行きたいというのもあった。こういう決断ができて迷いがなくなった」と語っている。高校の先輩、西武の菊池雄星投手も2009年、大リーグと日本球界の狭間で悩んだ。様々な誹謗中傷もあり、入団前後の苦しんだ様子は、後輩も聞いて知っているに違いない。日本のプロ野球だって決してバラ色ではない。それなら「自分の意思を貫き通そう」と思ったとしても不思議ではない。

大谷投手の米国行きが実現しても、マイナー・リーグからのスタートとなる。別名「ハンバーガー・リーグ」と言われる下部リーグなどでは文化や言葉の違い、ハングリー精神丸出しの中南米選手などと争うことになる。それも「覚悟のうち」と言っている。ぜひメジャーへ上がって活躍してもらいたいと思う。

▽迫力見せるメジャー

大リーグ試合の生の中継が午前中のお茶の間にあふれ出し、野球に詳しくない主婦層の話題になったのは5、6年前だったように思う。大谷投手らは当たり前のようにメジャーに接していたのである。一時は下火になったが、今年はダルビッシュ投手で盛り上がり、ポストシーズンつまりプレーオフなどの熱戦は、ヤンキースのイチロー選手や黒田博樹投手の出場もあって注目された。「面白いねえ」と普段は野球に興味がない人たちから、そんな声を聞いた。

WBCというだけで注目度が上がる。野球に限らず、サッカーやテニス、フィギュアスケートなど、世界を舞台に戦っている選手、しかも若い選手が実に多くいる。これもグローバル化の中の自然な流れなのだろう。

逆に大リーグから日本球界に戻って来る選手も増えた。つい最近、こんな記事が目にとまった。「巨人がイチロー獲得を本格調査」。今年4月のコラムで「イチローの獲得を目指す日本球団が出てくれば面白い」と書いた記憶がある。大谷投手の挑戦もそうだが、スケールの大きい日米球界の行き来こそが新時代の幕開けを告げる気がする。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆