プロ野球ソフトバンクの小久保裕紀内野手は、「直筆」を大切にする。周りへの何げない心遣い。本拠地ヤフードームでの試合開始前、ベンチのすぐそばのグラウンドレベルの観客席にいるファンのもとに歩み寄り、差し出された色紙やボールなどに丁寧にサインする。通算2千安打を達成する前も、今季限りでの現役引退を表明した後も変わらぬ光景だ。ある選手は「あれはすごいですよ。自分にはできません。自分の試合準備がありますし」と驚きを隠せない。どの選手にもファンを大切にする気持ちはある。だが誰しもがその気持ちを行動で示せるわけではない。

史上41人目の通算2千安打を達成した後、お世話になった方々へのお返しの品として、自身の使用しているものと同タイプのバットを用意した。その一本一本に相手の名前を記して贈った。「清原さんがサイン、名前、コメントを一つ一つに書いていた。自分もそういう記録にいったとしたらまねをさせてもらおうと思った」と明かした。

引退を発表した8月14日、報道関係者らに打撃用手袋のプレゼントがあった。6月24日に達成した通算2千安打を記念したもので、銀色を基調とした手首部分に「2000HITS 2012.6.24」と赤色の糸で刺しゅうが施されていた。その一つ一つに直筆のサインと「ありがとう」の言葉が添えられていた。筆者が小学生のころからプロ野球界で活躍し、ことしの10月で41歳を迎える名選手の計らい。あくまで取材対象者で、仕事に私情を挟みすぎるのはいかがなものか、というのは承知している。だが正直、とてもうれしかった。プロ野球選手から直筆サインをもらったのが人生で初めてというのを差し引いても、温かな感謝の言葉は心に染みた。

ヤフードームの選手駐車場の入り口では、目当ての選手のサインをもらおうとするファンが毎日のように入り待ちをする。選手の多くは車を止めると、ファンからの「サインください」の声に手を挙げたり、頭を下げたりして球場内に入っていくが、必ずといっていいほど求めに応じる選手がいる。高卒9年目の明石健志内野手だ。今季は開幕スタメンを勝ち取り、俊足好打を武器にレギュラーとして活躍する26歳。2010年には小久保選手の米国での自主トレに帯同するなど、弟子とも呼べる存在である。「ファンを大切にするのは、本当に大事ですよ」と真剣な表情で言う。駐車場で丁寧にユニホームや色紙にペンを走らせるその姿は、試合前の「師」の姿と重なる。

チームの弱小時代を知る数少ない選手の1人で、精神的支柱とも呼べる選手が今季限りでユニホームを脱ぐ。チームのまとめ役を引き継げる選手がすぐに出てくるかは分からないが、その主将が大事にするファンへの心遣いは若手に継承されている。明石選手の書く直筆サインが、筆者をそう確信させた。

岡田 康幹(おかだ・やすき)2010年入社し12月に本社運動部から福岡運動部へ。主にプロ野球ソフトバンクと大相撲を担当。1985年生まれ、東京都出身。