本家ブラジルのお株を奪う「マリーシア」だった。マリーシアとはポルトガル語で「ずる賢さ」を意味する。

ロンドン五輪のサッカー女子の「なでしこジャパン」は3日、準々決勝で強豪ブラジルと対戦した。前半27分、川澄奈穂美が倒されて得たFK。ブラジル守備陣の集中力が、一瞬途切れた。試合中、たまに生じるエアポケットのような数秒。そのなかで少なくとも日本の2人だけは、次に起こり得る可能性を信じていた。

大儀見優季がブラジルのディフェンスラインの裏に走り出す。その意図を瞬時に読み取ったのが沢穂希だった。「永里(大儀見の旧姓)選手が走ってくれたので」。ブラジルの守備が整う前に、沢が繰り出したリスタートからのスルーパス。左サイドから駆け抜けた大儀見の前にはGKアンドレイアしかいなかった。GKとの1対1。冷静にアンドレイアのポジションと動きを見極めて右足で流し込んだ。立ち上がりから劣勢に立たされていた日本にとって、この先制点は大きな価値を持っていたのではないだろうか。

「日本人に欠けているのはマリーシア」。ジーコやドゥンガら、ブラジルのスーパースターたちは日本のサッカーについて、事あるごとにマリーシアが欠けていると指摘していた。ルールには違反しない範囲での、狡猾な駆け引き。一般の生活で人をだませば、悪人のレッテルを張られるが、スポーツ、特にサッカーで相手を欺くことは美徳だ。相手の想像もつかないことをやればやるほど、オシャレな選手として評価されるのだ。

相手の意表を突いた素早いFKから生まれた日本の先制点。この場面を見るだけでも、改めて沢はサッカーを熟知しているなと思う。あのFKの場面で、川澄が倒された場所と、FKが再開された地点は違っていた。FKとスローインのポイントの違いだけには、厳格かつ自信を持って判定する日本のレフェリーだったら、おそらくあのFKはやり直しになっていただろう。しかし、この試合を裁いたフィンランドの主審は、他の外国人レフェリーの例に漏れず、ハーフライン付近のFKのポイントについては多少ずれていようが、それほどの関心を示さなかった。

とはいえ、あの得点につながった沢のFKは、ただ蹴られたわけではない。ちゃんとサッカーというスポーツの手続きを踏んで行われた。それは何かというと、沢は一度ボールを足の裏で止めて「FKですよ」と意思表示をしてリスタートしている。川澄がファウルを受けた場面では、そのボールが阪口夢穂に渡り、阪口が沢に縦パスを入れた時点でレフェリーの笛が吹かれたのだが、しっかりとボールを止めてプレーを再開しなかったら、レフリーはさすがにFKのやり直しを命じたろう。ボールを足の裏で止めて、FKであることを示したことで、ブラジル守備陣の足が止まったともいえる。

終わってみれば2-0の完勝。しかし、内容を見れば決定的なピンチも数多くあった。それでも無失点で切り抜けられたのは、日本に流れがある証拠だろう。トーナメントを勝ち進むチームというのは、追い風をうまく帆にはらませることも必要なのだ。

6日の準決勝では、初の決勝進出を懸け、「サッカーの聖地」ウェンブリー競技場でフランスと対戦する。なでしこのイレブンは、「スカートをはいたペレ」マルタとクリスチアーニの強烈な2トップを封じて、自らの手で(足で?)全世界のサッカー選手が憧れる夢の舞台に立つ権利をもぎ取った。狙うのはもちろん金メダルだが、そのメダルを勝ち取った場所が、ウェンブリーとなると、さらなる価値が加わることは間違いない。なぜならこの場所は、イングランド代表と、世界最古のカップ戦、FAカップの準決勝以上でしか使われない特別なスタジアムだからだ。ウェンブリーで試合をしたキャップ数を表す「ウェンブリーキャップ」という特別な言葉さえ存在する、選ばれた者しか足を踏み入れることのできない聖域なのだ。

アテネ、北京の両五輪で連続銀メダルを獲得していたブラジルを退けての4強入り。ジーコやドゥンガは、いまごろこう思っているに違いない。「まさかブラジルが日本にマリーシアでやられるなんて」と。それだけいまのなでしこジャパンは、したたかで大人。同じベスト4でも、明らかに4年前の北京五輪のチームとは、凄みが違う。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている