よく「私は自分の目で見たものしか信じない」という人がいるが、これは真理を突いていると思う。日本時間の7月30日の早朝に行われたロンドン五輪サッカー男子1次リーグ第2戦。日本代表のFW永井謙佑のスピードに接して、モロッコの選手は、「百聞は一見にしかず」ということわざを、痛いほど思い知らされただろう。そもそもモロッコに、こういうことわざがあるかどうかは分からないが。

ほんの一昔前からは予想もつかなかった高度な情報化。インターネットの発達などで、地球上からは、いわゆる「神秘のベールに包まれた選手」というのは存在しなくなった。地球の裏側の選手でも、データは即座に映像として対戦相手に伝わる。そのようななか、映像では正確に伝わらない部分というものもある。速さ、そして高さの情報だ。テクニックや戦術に関しては、こういうボールの持ち方をするとか、前線のポストに当ててサイドに展開するなど、守る側が情報を持つことで予測という対処の方法がある。だが、速さや高さに関しては、実際に対戦して体感しなければ、どのぐらい速いのか、どのぐらいヘディングが強いのかという正確な情報は伝わらない。

シドニー五輪以来、3大会ぶりの準々決勝進出。久しぶりの朗報をもたらしてくれたのは永井の規格外のスピードだった。0-0で迎えた後半39分、自陣センターサークル付近での清武弘嗣の振り向きざまの浮き球の縦パス。DFを一瞬にして振り切った永井は、ペナルティエリアを飛び出してクリアにきたGKアムシクの前で、ボールに余裕で追いつき冷静に右足アウトサイドのループシュートで決勝点を奪った。アムシクにすれば、これまで経験したことのないスピードだったのだろう。GKというのは手を使えないペナルティエリア外に飛び出していく場合、確実に自分が先にボールを触れられるとの判断を持っている。アムシクは昨シーズンまでドイツのアウクスブルクで日本代表の細貝萌のチームメートで、レベルの高いGKだ。前半42分のCKからの鈴木大輔のヘディングシュート、後半33分の大津祐樹の右足シュートを見事にセーブ。試合を通しても安定したプレーを披露していた。それだけに永井のスピードは、その判断をも上回るすさまじいものだったのだろう。

得点場面では日本にとっての、理想的な状況が生まれた。モロッコのゴール前で日本がFKを与えたことで、モロッコのDFラインはハーフウェーライン付近まで押し上げられた。それまで永井のスピードを警戒して背後のスペースを埋めていたのだが、この時ばかりはGKと最終ラインの間に広大なスペースが生まれた。日本陣内に放り込まれたアムシクのロングキック。鈴木大輔がヘッドで跳ね返したボールを拾った清武が、ノールックでこのスペースを的確に使った。もちろんそこには永井が絶対に走り勝つという確信があったからだろう。

「キヨ君(清武)からいいボールが来たから」。そういう永井は、間違いなくパスの出し手を気持ちよくさせてくれる存在だ。多少パスがずれても追いついてくれるFWがいれば、中盤の選手は安全策のパスではなく、ゴールにつながる勝負のパスをチャレンジできる。その数が多くなればなるほど、チームのリズムはよくなり、逆に相手はプレッシャーを強く感じはじめる。

大会前は女子の「なでしこ」ばかりに注目の集まった五輪サッカー。しかし、男子にも間違いなく大きなチャンスが生まれている。決勝トーナメント1回戦で、おそらくグループCの首位通過の可能性の高いブラジルとの対戦を避ければ、その上、さらにメダルも見えてくる。

1968年メキシコ五輪の銅メダル。2000年シドニー五輪のベスト8。ともに決勝トーナメント進出を果たしたチームは、コーチという肩書ではあったたがクラマー、そしてトルシエという外国人指導者の下での成果だった。しかし、今回の関塚隆監督率いるチームはスタッフも含め、純国産。その意味で日本のサッカーを世界にアピールする好機だ。確かに勝利を収めたモロッコ戦にも数多くの反省点はある。清武、永井とつないでGKとの1対1の絶好機を決め切れなかった山口螢のシュート。さらには試合を安全に終わらせなければいけないロスタイムに招いた決定的ピンチ。これらのプレーの一つひとつの精度を高めれば、このチームはさらに一皮むける可能性を秘めている。

「僕たちが世界と戦えないわけじゃないと証明していく」。試合後のキャプテンを務める吉田麻也の言葉が、なんとも心強い。この日、ホンジュラスに0-1で敗れたスペインは、名前だけが強かった。そしてロンドン五輪を見ていた多くの日本人に「2012年の男子日本代表は強かった」と、関塚ジャパンには後々語り継ぐ成果を残して欲しい。見たものしか信じない人たちに、鮮烈な印象を焼きつける戦いを。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている