経営が変わり、上昇を目指す新日本プロレスが選手発掘のためアマチュアのレスリング・チームを再結成することを決めた。6月17日に東京・代々木競技場第2体育館で行われた全日本選抜レスリング選手権に、永田裕志と親会社ブシロードの木谷高明会長が足を運び、多くのチームの監督らにあいさつ。早ければ今年中にも正式にスタートさせたいという。

新日本プロレスのレスリング・チームといえば、1990年に馳浩氏が石沢常光(のちのケンドー・カシン)をスカウトして「闘魂クラブ」を立ち上げ、五輪選手の育成を目指した。石沢はあと一歩で五輪の舞台を逃したが、中西学が1992年バルセロナ五輪に出場し、五輪代表の肩書きをもってプロ入りしている。

その後、藤田和之が1996年アトランタ五輪を目指したが、夢かなわず。2000年シドニー五輪後には五輪で銀メダルを取った永田克彦が入団し、2004年アテネ五輪に出場している。しかし、同社の業績不振や身売りによって自然消滅していた。

今回の行動がプロレス界の活性化につながってほしいと思う。「五輪代表」という肩書は、ファンに与えるインパクトもさることながら、周囲のレスラーを刺激するもの。「日本レスリング界重量級最強の男」の肩書で新日本プロレスへ進んだ谷津嘉章は、入団後、ある古参レスラーから「おまえのおかげで、練習が厳しくなったよ」と言われたそうだが、五輪代表というエリートに対して雑草がライバル意識を持つのは当然のこと。

その競争の中から、上昇につながるエネルギーが生まれる。1990年代前半の新日本プロレスの隆盛は、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士の新参の永田、石沢、中西のアマレス三銃士へのライバル意識にも要因があったはず。あの頃の選手間の熱気がよみがえれば、プロレス復興の道が開かれようというもの。

レスリング側からすれば、プロレスへつながる重量級だけではなく、五輪での活躍がより期待できる軽中量級の選手もとってほしいといったところ。それであっても、同じ会社に五輪で活躍する選手がいるという事実は、プロ選手を刺激するだろう。

「新・闘魂クラブ」のスタートに注目したい。(格闘技ライター・樋口郁夫)