4月27~29日にMotoGP第2戦が開催されるスペイン・ヘレスサーキットの片隅に、ひっそりとフラミンゴの像がたたずんでいる。レースに造詣の深い人には、この像の由来を今さら説明する必要はないだろう。ただし、近年になってレースに興味を持ち始めたファンには、あまり馴染みがないかもしれない。これは、1993年にこのサーキットで命を落とした日本人選手、若井伸之を偲んで建てられた像なのである。

若井は、1990年に全日本選手権125CCクラスでランキング2位を獲得し、翌年から世界グランプリのフル参戦を開始した。この年には、坂田和人と上田昇も125CCクラスのフル参戦を果たしている。1991年のこの時、若井23歳、坂田24歳、上田23歳。開幕戦日本GPの舞台鈴鹿サーキットで上田は劇的なポールトゥウィンを達成。シーズン最終戦のマレーシアGPでは坂田が2位、若井は3位で表彰台を獲得した。身長の高い若井が、長い手足を折りたたむように小さな125CCマシンを操る様子はフラミンゴの姿にもたとえられた。

1992年、上田はランキング9位、若井10位、坂田11位。93年に上田と坂田は125CCで継続参戦する一方、若井は250CCに転向する。この年、彼らのもうひとりの親友、原田哲也が250CCクラスに登場した。原田は開幕戦オーストラリアで衝撃のデビューウィン、第2戦マレーシアは2位、第3戦日本GPで優勝、と快進撃を続けていた。そして第4戦のスペインGPを迎える。

土曜の予選で、若井がコースへ出ようとしたときに悲劇が発生した。ピットレーンに観客が飛び出し、この観客との接触を回避しようとした若井はピットロードの壁に衝突、頭部を強打した。懸命の治療の甲斐なく、25歳で逝去。翌日の決勝レースでは、125CCクラスで坂田が初優勝を達成。堪えていた涙が表彰台で一気に爆発した。5位でフィニッシュした上田は、自らのピットガレージへ戻る際、マシンに跨がりながら若井の激突したウォールに触れ、別れを告げた。250CCクラスでは原田が優勝。レースを終えてヘルメットを脱いだ後も、原田の涙は止まらなかった。若井の死を悼む意味から、このクラスの表彰式は行われなかった。

そして1994年2月、ヘレスサーキットにフラミンゴの像が建立された。その碑文には、以下のようなことばが記されている。

「魂と肉体の翼いまだ衰えぬまま この地に止まりて挑むは 汝ら志ひとしき同胞 飽かず疾駆する勇姿なり」

コース脇のフェンス内側に立つフラミンゴの像が選手たちの姿を今も見つめ続けるなか、ヘレスサーキットは若井の事故から20回目のグランプリを迎える。(モータージャーナリスト・西村章)