故郷を思う気持ちが人一倍の若者にとっては不本意な登板だった。東日本大震災から1年がたった3月11日、仙台市出身のプロ野球ヤクルトの22歳、由規(本名・佐藤由規)投手は、広島県福山市で行われた広島とのオープン戦で先発マウンドを任された。登板前から「一球一球、かみしめて投げたい」と気合十分だったが、三回に打球が右膝下を直撃して無念の降板。球場全体で震災発生時刻に黙とうをささげた時は、すでにベンチ裏に下がっていた。

2010年に日本投手で最速の161キロをマークした速球派。ドラフト会議の当日に、感極まって涙した甲子園のヒーローを記憶されている方もいるだろう。「内容はいまひとつ。この日に投げられたことに、いろいろと感じるものがあった」。元気なプレーを届けたかっただけに、試合後は複雑な表情だった。

地震直後はショックを隠しきれないでいた。家族は無事だったが、それでも一時は車の中での生活を余儀なくされたという。本人が普段暮らす埼玉県戸田市の寮では、地震が起きるたびに誰よりも早く部屋を飛び出すほど敏感になった。ようやく交流戦で戻った地元で見た、移動バスの車窓に映るがれきの山。そして仙台育英高時代にバッテリーを組み、兄のように慕った先輩の死。全力プレーを心掛けても、被災地の現実と球場の華やかさとのギャップに戸惑うことは多かったはずだ。故障を繰り返してもどかしさばかりが募るシーズンでもあった。震災の話題には「もう1年なんだな、という気持ち。あっという間と表現していいのか分からないけれど」と口調は慎重になった。

スポーツ記者である私も、何を書くべきかと考え続けた1年だった。震災の日はオープン戦取材で横浜スタジアムの記者席にいた。グラウンドに飛び出し、やまない余震の中で、球場周辺のビルが互いにぶつかりそうになるほど揺れている光景を不安げに見つめたことを覚えている。翌朝に東京都内の自宅に帰り着いた時は、本棚やCDラックが倒れて散乱した部屋に迎えられ、しばらく何もする気が起きなかった。その後、被災地取材を終えて戻ってきた同僚の社会部記者やカメラマンに現地の過酷な状況を聞く度、自らの非力を痛感し、震災とスポーツ報道について自問自答した。

ことしもプロ野球の開幕が近づく。由規投手は「一歩一歩、復興に向けて歩んでいる。元気と勇気を与えることができたら」と誓う。その言葉を聞いて自然と胸が熱くなった。聞き慣れたような「元気と勇気」も震災を経験した後では重い。若き右腕が悩みながらも成長していく姿を、しっかりと追いかけていきたい。

小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京でプロ野球担当。