1960年代は日本ボクシング界の黄金時代といわれる。連日のようにゴールデンタイムにテレビ放送され、個性的なボクサーがリング上で躍動した。空前のブームの中心にいたのがファイティング原田(笹☆(崎の大が立の下の横棒なし))である。休みを知らないエネルギッシュな連打で人気を一身に集め、時代の寵児となった。その原田が世界フライ級タイトルを獲得したのが62年10月10日。ちょうど50年前の衝撃だった。

時のフライ級にはポーン・キングピッチ(タイ)が君臨していた。海千山千のボクサーファイターで、要注意はタイ式ボクシングで鍛えた右アッパー。さりげなくヒジでボディーを痛めつける巧妙な技を持っていた。原田は19歳6カ月。挑戦を間近に控えていた矢尾板貞雄が突然の引退を発表、ランク外の原田にチャンスが回ってきた。原田の将来性は高く評価されてはいたが、時期尚早ではないか、というのが大方の予想だった。

蔵前国技館には7000人のファンが詰め掛けた。その追い風を受け、原田は初回のゴングとともに勢いよく飛び出した。まさに速射砲。左右フックをたたきつけ、早くもイニシアチブを取った。2回以降も同じようなラウンドが続く。ポーンは時折、右ストレートなどで反撃の機会をうかがうがクリーンヒットはない。原田の連打は止まらず、リードを広げていく。しかし、当時の世界戦は15ラウンド。果たしてスタミナは持つのだろうか、という不安も隠せない。それほど原田は飛ばした。

スタミナは驚異の一言だった。10回が過ぎても攻勢は続く。そして11回、最大のハイライトが訪れる。ラウンド後半、阿修羅のようなラッシュが始まった。ポーンをコーナーに釘付けにし、雨あられとパンチを注いだ。さすがのポーンにも観念したかのような表情が浮かび、試合は終わった。リング上には歓喜の座布団が投げ込まれ、大変な騒ぎとなった。ニューヒーローの誕生。ブームは頂点に到達した。

私は当時、小学校5年生。いたく感動した記憶がある。2月下旬、原田さんにお会いしたとき、半世紀前の思い出を語ってもらった。「懐かしいね。とにかく前に出ることだけを考えていた。あれから50年も経つのか…」と感慨深そうだった。祝賀会が行われる4月5日は原田さんの69回目の誕生日。日本ボクシング界の代名詞でもある原田さん。誰もが歴史に浸る盛大なパーティーになりそうだ。(津江章二)