桜井孝雄は生きている。言わんとするのは、この1月に70歳の生涯を終えた日本で唯一人の五輪ボクシング金メダリストである桜井孝雄氏の精神は、残された者たちのうちに、しっかりと脈打っているということ。天才的な防御の印象からクールと表現されることの多かった桜井氏だが、千葉県立佐原第一高校(現佐原高校)でのボクシングとの運命的な出会いについて語るとき、人生の巡り合わせの不思議さへの驚きは晩年も至っても色褪せることがなかった。

必修クラブのひとつになぜかボクシング部があり、指導者不在の部活から自己流で高校王者になった事実は桜井氏の天才を物語る有名な逸話だが、桜井氏が目の当たりにした同部活の先輩の宮崎三男、鈴木友助らの活躍があったことを忘れてはいけない。のちに桜井氏自身も入学する中央大学に進んだその後の彼らは、鈴木はアマ全日本王者に輝き、宮崎は三迫ジムのトレーナーとなり桜井氏のプロ転向を迎えることになる。

かくも不思議の園、佐原一高ボクシング部の起源は、1970年3月の赤軍派学生たちによる日航機「よど号」ハイジャック事件で乗客の身代わり人質を申し出て、日本中にその名を知られた時の運輸政務次官の山村新治郎(故人)が、 同高在籍時に作った同好会とされており、五輪優勝以前から後輩の桜井氏に目をかけていた山村は、そのプロ転向に際して名誉後援会長に就任している。

96年4月、桜井氏は銀座界隈に「ワンツースポーツジム」を開く。場所柄、練習性のほとんどがオフィス街の会社員のこのジムこそ、桜井氏自身の手になる不思議の園に思えなくもない。103キロから76キロへの減量に成功した会社員もいれば、父親に連れられてきた小学生が高校でインターハイ王者に輝いたこともある。桜井氏は、33歳以上の愛好家による大会「おやじファイト」への参加を禁じていたが、同大会で9戦無敗を誇る人形町のビジネスホテルオーナー・和田剛さん(45歳)や同じ2戦無敗の会社経営・金原弘和さん(52歳)は、他のジム所属で参戦しながら、「ワンツー」にも月謝を払って通い続けている。居心地はいいが、プロは育たないのか?その回答は現在、桜井氏の長男の桜井大佑氏の指導のもと今年3月にデビューする、桜井氏の最後の教え子、ライト級・佐藤匠の登場を待て。(草野克己)