1964年、オリンピックが日本で初めて開催され、戦後から立ち直る人々に無限の勇気を与えてくれた。その東京五輪のボクシングで金メダルを獲得した桜井孝雄氏が1月10日、70歳の生涯を閉じられた。長い五輪の歴史で、日本がボクシングで優勝したのは桜井氏ただ一人。今なお、その快挙は光り輝いている。

五輪での桜井氏の活躍は見事の一言だった。特に忘れられないのが、韓国選手を相手にした決勝戦。スタートからスピードあふれる連打で圧倒し、RSC勝ちでバンタム級の頂点に立ったのである。プロでも金メダルを―。周囲の期待は大きく、65年、プロ転向を決めた。当時の世界バンタム級王者はファイティング原田。“黄金のバンタム"と呼ばれたエデル・ジョフレ(ブラジル)も王座奪回を狙っており、“ロープ際の魔術師"ジョー・メデル(メキシコ)も健在。強豪が集う中、アマチュアで鍛えた桜井氏のテクニックがどこまで通用するのか。興味津々のプロ人生だった。

桜井氏の「打たせずに打つ」という技術は秀でていた。KO勝ちこそ少なかったが、安定したボクシングで連勝街道を突っ走った。68年7月、ついに世界初挑戦のチャンスが訪れた。王者は原田からタイトルを奪ったライオネル・ローズ(オーストラリア)。桜井氏と同じ、スピードが自慢のテクニシャンだ。桜井氏は2回、左ストレートでダウンを奪うなど、快調にポイントを重ねた。「金メダリストはひと味違う」。中盤が終わり、新王者誕生の機運で会場は盛り上がった。

しかし、ここからが問題だった。リードを確信している桜井氏は決して深追いせず、守りに入ったのだ。テレビ観戦していた私は「なぜ攻めないんだ。逃げちゃ駄目」と思った。結局、桜井氏は終盤ローズに攻勢点を許すことになる。判定は小差で敗れた。「もし、たら」は禁物だが、桜井氏に積極的な姿勢があれば、世界をつかんだ可能性が高いだろう。バンタム級の歴史が変わっていたかもしれない。

その後、69年5月、怪物ルーベン・オリバレス(メキシコ)と10回戦を行い、6回、ボディーブローを浴び、KOで敗れた。この一戦で世界戦線から離脱することになり、プロでの頂点をあきらめることになった。しかし、サウスポーからの絶品テクニックは現代にも通じるものだ。素晴らしいアウトボクサーだった。(津江章二)