亀田兄弟を台風の目に、フライ級の世界王座が日本中心に回っていた4、5年前、トップボクサーたちに「裏の日本最強」と言わしめる超逸材がいた。アマチュアボクシングの国際大会で、多くの入賞実績を持つ須佐勝明(自衛隊体育学校)である。そのパワーと技術は、ビッグマウスで有名な亀田興毅さえ「海外でもいろんな選手とスパーリングをしたけど、あんなに強いのはおらんかったな」と認めたほど。

では、逆に須佐が強いと思う者は誰なのか。ある日、須佐に「あこがれや理想」について尋ねると、その口から出た名は「加藤一二三」だった。加藤九段は「神武以来の天才」とうたわれた将棋棋士で、史上最年少の14歳でプロ、18歳でA級に昇進した現71歳の大御所である。将棋界では、対局中に「滝を止めさせた」、「相手側に移動して盤面を見た」など、憎めない珍エピソードでも人気を博している。直観重視の須佐は、その大胆さにひかれたという。

それを光栄に思った加藤氏が「ぜひお話したい」となって、12月13日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で対面が実現した。リング上でも力まない須佐が、思わず硬直したのに対し、加藤氏は饒舌に語りまくる。須佐は高校時代、福島県の高校竜王に3勝1敗で勝ち越し、再戦を申し込まれながらも、日程がボクシングの大会とかぶって断念していた。これが、プロ棋士をあきらめる最後のきっかけになったが、「上京してから3、4年間は、池袋の西口公園で、毎年1000局以上を指していた。アマの四、五段相手にも分はよかった」と振り返る。須佐にとって、棋士は幼少期の夢であり、加藤氏はその世界の「神」である。

噂どおりに長過ぎるネクタイを、時折いじりながら、加藤氏は持論を展開した。

「大切なのはリズム。そして8割が直観です。中盤以降はセンスに任せますが、序盤を取る研究を今も続けています」

すると須佐も「自分のボクシングと一緒です」と共鳴し、思わず悩みも口にした。

「ボクシングでは平均年齢が低く、27歳の現時点で、守る立場の試合が多いんです。ガムシャラに上を狙ったころよりも、正直、気持ちが張りづらくなりました」

すると、加藤氏は一笑に付した。

「若さに任せた力は、十分に経験されたじゃないですか。それを把握しきったことを、自信にしたらどうでしょう?」

歴史に残る対局数をこなしてきた加藤氏の戦績は白星、黒星そろって1000を超える。それでも、いまだ手を抜いた対局が思いあたらない。それだけ将棋を愛しているからこそ、直観を重んじながらも、一手に時には7時間も要すのだ。

そんな剛毅と別れた帰路で、須佐は「情熱」の強さを見つめ直していた。来年のロンドン五輪には、いよいよ最終決戦として臨むという。まずは、そのアジア予選トーナメントに、須佐はベテランらしく、そして名人らしく、腰をすえて駒を置く。(フリーライター・善理俊哉)