またしても、才能豊かな選手が若い命をサーキットに散らせた。チーム・サンカルロ・ホンダ・グレッシーニ所属のイタリア人、マルコ・シモンチェリ選手。享年24歳。

前日の予選で2列目5番グリッドを獲得したシモンチェリは、10月23日に行われた第17戦マレーシアGPの決勝レースが現地時間16時にスタートした直後、4番手走行中の2周目11コーナーで転倒。他車に激しく追突して、サーキット内のメディカルセンターへ搬送された。このアクシデントによりレースは中断、再開されることがなくキャンセルになった。シモンチェリは即座に心肺蘇生術を受けたものの、その甲斐も空しく16時56分に死亡が確認された。

1987年1月20日、ミザノサーキットを目の前に臨むアドリア海沿岸のカットリカに生まれたシモンチェリは、2002年のチェコGP125CCクラスで世界初参戦。翌2003年からフル参戦を開始した。2008年に250CCクラスのチャンピオンを獲得した翌09年は、青山博一と年間最終戦までもつれ込む熾烈な総合優勝争いを繰り広げた。2010年から最高峰のモトGPへ昇格し、今季はポールポジション2回、表彰台も2回(第11戦チェコGP-3位、第16戦オーストラリアGP-2位)獲得した。来季も同チームからファクトリーマシン体制で継続参戦することが決定しており、総合優勝を争う一角となることは確実視されていた。

飾り気も表裏もない明るい性格と、大きな身長に人目を惹きつけるカーリースタイルの髪で着実に人気を伸ばしていた。また、転倒するたびに速さを身につけていくタイプの選手で、ときに荒っぽいライディングが選手間で物議を醸した時期もあったが、メリハリのきいた戦略を少しずつ身につけ、HRCチーム代表の中本修平も、「抑えるところは抑えながら、攻めるべきところはきっちり攻める走り方へ成熟してきた。今後も、さらに勇敢でクレバーな走りを身につけて欲しい」と高い評価を与えていた。

一瞬のアクシデントが引き起こした突然の悲報に、夕刻のパドックは重く苦しい雰囲気に包まれた。幼い頃から彼をよく知るテレビレポーターは「やつが初めてグランプリを走ったチェコのレースが、勝手に脳裏に浮かんできやがるんだ」と声を震わせ、あるチームスタッフは、黙って何度も握り拳でピットの壁を叩いた。「ヤツはバレンティーノ(・ロッシ)以来のアーティストなんだ」と、その才能を高く評価していたジャーナリストは「……なんでもないさ」と目に涙をためて笑みを浮かべる。

来週11月4日から始まる今季最後のレース第18戦バレンシアGPは、シモンチェリ選手の追悼レースになる。しんみりと沈んだ地味なレースは、派手で賑やかな彼の人柄に似合わない。手に汗握る緊迫した激烈なバトルこそ、“スーパーシッチ"のニックネームで愛された彼への最高の餞になるはずだ。(モータージャーナリスト・西村章)