中日・落合博満監督が最後まで「オレ流」を貫き通している。リーグ2連覇が決まろうかという14日の巨人戦に、新人の大野を先発させ、負けた。今季は1度も登板していない大野(仏教大出身)の起用を、落合監督自ら「よそではないだろうね」と語った。

▽6試合で「2勝」すればいい

契約切れを理由に、落合監督が今季限りで退団することは9月22日に発表されていた。大野はドラフト1位の期待の左腕だけに監督の置き土産でもあるのだが、私は残り6試合で「2勝」すればいいという戦術に目がいった。

中日ファンをもどよめかせた、こんなオレ流さい配を見て、40年ほど前に読んだ「スター」(江藤文夫著)という本を思い出した。各分野のスターたちを論じた同書で取り上げられていたのが巨人、西鉄(現西武)、大洋(現横浜)などで監督をした三原脩氏(故人)である。

▽元祖「オレ流」は三原脩氏?

1960年のプロ野球は、三原監督率いる最下位の大洋が初優勝どころか日本一となり大きな話題となった。実はこのドラマチックな優勝は、プロ野球が1年ごとの優勝を争うきっかけとなり、それまで以上に監督の手腕が問われることになったと思う。

さて、その大洋―大毎(現ロッテ)との日本シリーズ。著者は三原監督の試合後談話に引きつけられる。大洋が初戦から4連勝するのだが、第1戦後「今日の試合はもう過去。あと5試合の対策を立てればいい」。第2戦後「あとの試合をペナントレース中の3連戦と考える」。

▽記者をも「けむに巻く」

お気付きだと思うが、日本シリーズは7試合制なのに、なぜか1試合少なく言い、記者をけむに巻く。3連勝後にやっと「あと4試合のうち1試合は大洋のペースでやれる試合が出てくるはず」と、本音を口にしている。

三原監督といえば、58年から3年連続して日本シリーズで巨人を破り、西鉄を日本一に押し上げた監督だけに、大洋の選手も監督の言う通りに戦ったに違いない。落合監督も残り6試合をどう戦うかを、選手に説いたと思う。

▽名監督たちの繰り出すマジック

西武・広岡達朗監督は83年に巨人を破って日本一になったシリーズで、1勝1敗で敵地での3連戦に臨む前、「一つ勝てば本拠地に戻れる」と鼓舞し、後楽園球場で1勝2敗の後、西武球場で連勝した。監督のカリスマ性に選手は動かされているのである。

三原氏は、例えば左投手が勝負どころで右打者を迎えると「ワンポイント」で外野に回し、また登板させる斬新なさい配を見せ“三原魔術"などと形容されたものだ。落合監督も時にセオリーを無視した、思い切ったさい配を振るい結果を残す点でも、名監督の列に並べてもいいだろう。

▽理想は大型でいて緻密なチーム

三原語録を前述の「スター」から紹介したい。大洋の初優勝後の「これからは我、人ともに認めるチームをつくる。理想は大型でいて緻密なチーム」。

そして「勝利がチームワークを自然に生み出し、敗北が人の和を阻害する」、「論理が愚かしい実際に敗れることがある」、「野球という競技は勝ち負けをどこで判定していくか、非常に難しい」等々。

▽「中身が全然違うのよ」

カリスマ監督の一人、野村克也氏もよく似たことを言うが、こうした三原語録が最近、西鉄の流れをくむ西武球団の企画として西武電車の東京・池袋駅などに掲示された。

三原氏が日本ハムの球団社長の時、上田監督の阪急(現オリックス)が1977年に西鉄以来、パ・リーグとして3年連続日本一になった感想を取材したことがあった。「あなたねえ、(西鉄と阪急では)中身が全然違うのよ」としか言わなかった。

▽それでも退団、真相は―

さて、落合監督だが、監督として8年連続の在任ですべて3位以上の成績を納

め、昨年までのリーグ優勝3度は中日の監督として球団史上初めてだそうだ。あの星野仙一元監督(現楽天監督)でさえやり遂げられなかったのだから、続けて

指揮を執り、結果を残すには難しい球団なのだ。

3度の打撃三冠王、首位打者、本塁打王は各5度、日本人選手初の1億円選手―。選手としての実績に続いて、指導者としても高い評価を受けるに違いない。

それとは別に、落合監督退団の真相解明にはもう少し時間がかかりそうだが、阪神・真弓明信監督の退任とは違う、この前代未聞の監督交代劇には深い理由があるような気がしてならない。もっとも、一番もやもやしているのは中日ファンであろう。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信社では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取

材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション

「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆。