正直な感想は、「こんな中に、もし日本代表が放り込まれたら、はたしてサッカーの試合になるのだろうか?」だった。東日本大震災の影響で、日本代表が招待出場を辞退した、アルゼンチン開催のコパ・アメリカ(南米選手権)のことだ。

▽まるでストリートファイト

どの年代でも世界大会に出場すると、必ずといっていいほど「フェアプレー賞」に絡んでくる日本代表。良い意味での優等生にとっては、勝負に対して無慈悲なほどに冷徹な気質がぶつかり合うラテン・アメリカの大会は、少々荷が重かったのでは、と想像された。

もちろんこの大会に日本代表が出場していれば、確実に得るものがあり、逞しくなったことは疑いない。ただ、中米のメキシコ、コスタリカを加えたラテン・アメリカ12カ国によるトーナメントは、スポーツというよりも“タイマン勝負"に近い戦いの様相が強い。

さらに局面での激しさを助長する「ファウルをされた方が悪い」という感もある南米審判団を主とするジャッジング。

日本代表が出場していたら、リングの上でしか戦ったことのないボクサーが、いきなり治安の悪いスラムで、ストリートファイトに巻き込まれたぐらいのギャップはあっただろう。

▽コパ・アメリカに強いウルグアイ

次回のワールドカップ開催国の王国ブラジル、世界最高のアタッカーであるメッシを筆頭に前線にアグエロ、イグアイン、テベスらキラ星のスターを3トップに並べたアルゼンチンが、準々決勝で枕を並べて討ち死にした今大会。優勝を飾ったのは、ウルグアイだった。

その水色のユニホームの色から“セレステ(空色)"の愛称で知られる1930年の第1回ワールドカップ(W杯)の王者は、昨年のW杯南アフリカ大会で南米勢最高位の4位を獲得。とはいっても、開幕前は開催国のアルゼンチン、ブラジルに勝るとは思われていなかっただろう。

ところがウルグアイは、ことコパ・アメリカに関しては、なぜか圧倒的に強い。人口わずか330万人強の小国。それがラプラタ川を挟んだ隣国のアルゼンチン(人口約4000万人/優勝14回)、ブラジル(人口約1億9300万人/優勝8回)を抑えて最多15回の南米王者に輝いているのだ。

▽特色は「泥臭く、堅固に」

ブラジルの華やかさとも、アルゼンチンの鋭さとも違うウルグアイの特色。それはこの国が何十年経とうとも変えることのない、一貫した泥臭さかもしれな

い。堅固な守備で耐え忍び、攻撃のエースの一発に懸ける。世界サッカーの戦術の潮流が、目まぐるしく変化を続ける現在でさえ、この国のサッカーの哲学は

ぶれることなく、いたってシンプルだ。

ブラジルやアルゼンチンに比べると、圧倒的に安定感あるGK。長身で屈強なセンターバック。小柄だが機動力と寄せの速さを持つサイドバック。地味ながら黙々と相手の攻撃の芽を摘む当たりの強いボランチ。

チームを作る上でのベースとなる守備面の顔ぶれは、いつもタイプが同じだ。これに攻撃の個性が加わ

る。そして、この個性の強さにより、ウルグアイ代表の成績は左右されてきた。

▽各時代に絶対的なエース

ワールドカップを制した1930年や50年のチームは見たことがないので、何とも言えないが、少なくとも60年代以降、セレステには必ず絶対的なエースが存在した。

60年代から70年代にかけては、京都の監督も務めたペドロ・ローチャ、80年代はエンソ・フランチェスコリ、90年代から2000年代の初めはアルバロ・レコバ、そして現在はディエゴ・フォルランと、今大会でますます存在の大きさを示したルイス・スアレス。

東京都の人口の4分の1ぐらいしか人間のいない国で、必ずファンタスティックなアタッカーが生み出されるのは奇跡に近いのではないだろうか。

▽教授、そして巨匠

いまから24年前の12月に、今回ウルグアイを優勝に導いた監督オスカル・タバレスをインタビューしたことがある。

「雪の大会」として記憶される第8回トヨタカップ。FCポルトと対戦するために、コパ・リベルタドーレスを制したタバレスは南米代表としてペニャロールを率いて東京に来た。東京・芝のホテルの自室に招いてくれたタバレスは、とにかく理知的な人だった。

昨年の南アフリカで「マエストロ(巨匠)」の呼び名が広く知れ渡った学校の教師の資格を持つ異色の監督は、当時ペニャロールの選手たちに「プロフェッソール(プロフェッサー/教授)」と呼ばれていたと記憶する。

南米のスペイン語圏の監督を通常はディレクトール・テクニコ(技術/ディレクター)というために「ディレクトール」や「テクニコ」と呼ぶことが多い。その中では異色の呼び名。タバレスが選手たちから絶大な尊敬を集めているのが伝わってきた。

FIFAの技術委員や1996年にはイタリアのACミランの監督も務めた。ウルグアイの指導者としては、世界を股にかけた出世頭として最新の戦術も知り尽くしている。

▽戦術しのぐ人心掌握術

それでも勝負をかけてタイトルを狙うときには、自国の伝統的なスタイルを崩さない。今回のウルグアイの優勝は、ある意味で南米サッカーの奥の深さを感じさせる出来事だった。

サッカー監督にとって一番大切なのは、斬新な戦術ではない。人心を掌握してチームとして同じベクトルを向いて突き進むこと。ブラジルやアルゼンチンの監督が不甲斐なかったからこそ、余計にタバレスの偉大さが際立つ。

▽自分のことのように誇らしく

そういえば24年前のあの日、タバレスはこう言ってくれた。「優勝したら、一緒にインターコンチネンタルカップを持って写真を撮ろう!」

ペレやヨハン・クライフ、フランツ・ベッケンバウアーも掲げたクラブ世界一のトロフィー。タバレスとの約束は、雪の国立競技場に夢と終わった。

それでも彼が、その後世界中の誰からも尊敬される名監督への道を歩んでいく姿を見ていると、自分のように誇らしく思えた。

そしていまでは珍しくないだろうが、僕が20数年来のウルグアイ・ファンであり続けるのはタバレスに負うところが大きい。

実をいうとタバレスは、サッカーの星の下に生まれているらしい。彼の誕生日は1947年の3月3日。

日本では雛祭りのこの日、ブラジルではジーコ(1953年)が、旧ユーゴスラビアでは“ピクシー"ストイコビッチ(1965年)が誕生しているのだ。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている。