この若者たちは、本当に楽しそうにサッカーをやっている。その副産物として、どれだけ多くの日本のサッカーファンに幸福感を与えているかを、自覚しているのだろうか。いや、知らない方が余計なプレッシャーを感じなくていいのかもしれないが…

▽価値ある快進撃

メキシコで開催されているFIFA U-17(17歳以下)ワールドカップ(W杯)での、日本代表の快進撃が止まらない。実力的には落ちると思われたジャマイカ(1-0の勝利)はともかくとして、強豪のフランス(1-1の引き分け)、アルゼンチン(3-1の勝利)を抑えてグループB(1次リーグB組)を予想外の首位突破。日本時間の6月30日に行われた決勝トーナメント1回戦でもニュージーランドを6-0で撃破し、胸のすくような試合をやってのけた。

このカテゴリーでのグループリーグ突破は、中田英寿や宮本恒靖を擁して1993年にベスト8入りして以来、実に18年ぶりの快挙。その時の大会が地元日本で開催され、スローインに代わり、サイドラインから足でボールを蹴り入れるキックインという不可思議なルールが試験導入された大会だったことを考えると、その価値ははるかに高いといえる。

▽極めれば“バルサ"にだって

というのも、当時、日本の攻撃の最大の武器は、財前宣之というキックのスペシャリストが、ゴール前に陣取った190センチを超える長身の船越優蔵の頭を狙うのが主だった。それに比べると、今回のチームはパスを正確につなぎ、サイドを崩してシュートという形が、ゴールという結果に結びついている。

キックインからの攻撃が、その後の個々のサッカー人生に何の上積みもない戦術となってしまったことに比べると、今回のチームのパスをつなぐスタイルは、精度を究極に高めていけば、あの“バルセロナ"にさえなれるのだ。

▽強化が難しい年代

ガンバ大阪からドイツのバイエルン・ミュンヘンに移籍した宇佐美貴史や、オランダのフェイエノールトでブレイクした宮市亮といったタレントを擁した前回大会。攻撃力に非凡なものを見せた「プラチナ世代」といわれるメンバーで臨んだ2年前の大会でさえ、日本はグループリーグで3戦全敗に終わった。

スポーツが学校単位で主に行われてきた日本にとっては、17歳以下の大会というのは強化の面でどうしても難しいところがある。この頃はJリーグの下部組織で育つ選手が増えたために、「サッカーをやらない時期」というのが少なくなったとはいえ、高校やJクラブの下部組織が出場するプリンスリーグも、基本的には高校3年生までの大会だ。

中学3年生の夏で大会が終わり、強豪高校に進学しても1年生は球拾いという構図が大幅に変わらない限り、高校2年が対象となるU-17ワールドカップで常に好成績を収めるというのは難しくなるだろう。

▽前評判覆すタレント集団

それを考えれば、今回のメキシコでの快進撃は快挙といえるだろう。前評判は決して高くないチームだった。さらに傑出したタレントもいないといわれていた。しかし、試合内容を見ていると、どうして、どうして。

DF登録だった早川史哉や高木大輔がウイングを務めてそれぞれ、2ゴールと1ゴール。「個に頼らないチーム作り」を進めた吉武博文監督は、メンバーにポリバレントな選手を集め、それを組織として見事に御している。

決勝トーナメント1回戦までに、第3GKの阿波加俊太も含め登録21人が全員出場。そのほとんどが、複数のポジションをこなせる多様性を持っていることを考えると、日本は30人のメンバーで戦っているのと同じだろう。

▽サッカー人生変えるブラジル戦

ただ、このチームを見ていると「なんでそこでパスミスをするんだ」と、つい厳しい目で見てしまう。17歳という年齢を忘れて…。それだけ今回のU―17日本代表は成熟している証拠なのかもしれない。

そして本来は、この年代から勝負にこだわらなければならないのだ。なぜなら、海外ではこの年代でプロの主役として活躍する選手は数多くいる。メッシだってクリスティアノ・ロナルドだってそうだった。

勝負は日本の日付で7月4日のブラジル戦。この準々決勝の壁を突き破るかどうかで、彼らのサッカー人生は大きく変わるだろう。

▽吉兆感じさせる、松本さんとの遭遇

そういえば、ニュージーランド戦の2日前に家の近くを歩いていたら、5月までの7年半、サガン鳥栖の監督やGMを務めていらした松本育夫さんにお会いした。

69歳にして「近々、サッカーの試合があるから」と体力維持のウォーキング中だった。そういえば松本さんは1968年のメキシコ五輪の銅メダリスト。あの時も日本は、フランスやブラジルと対戦した。松本さんとの偶然の遭遇。これはメキシコで戦う若き侍たちにとっての、何かのよい兆しかも!

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている。