大学野球の日本一を決める6月の全日本大学選手権は、東洋大の2年連続優勝で幕を閉じたが、注目を集めたのは初出場でベスト4の東京国際大(埼玉県)の古葉竹識監督だったと思う。

プロ野球広島の監督として3度日本一になり、野球殿堂入りしている名将が大学野球の監督になったのは知っていたが、神宮球場で取材することになるとは思わなかった。

▽百戦錬磨の戦いぶり

古葉さんは試合前のベンチで「100年ぶりぐらいやね」とジョークで迎えてくれた。遠めにはそのユニホーム姿は変わらないが、75歳の年齢は隠せない。それでも、就任4年目でチームを掌握し「基本プレーと勝つ方法」を教え込んだようで、選手にはいろんな引き出しを開けて対応したのだろう。随所にプロで培った百戦錬磨の戦いぶりが見えた。

▽元プロ選手の監督たち

その古葉監督が準決勝で対戦したのが慶大で、その監督は元巨人の選手、コーチだった江藤省三氏。こちらは就任2年目で既に東京六大学で2度の優勝実績を持つ。

中大・高橋善正監督もそんな一人で、巨人の新人、沢村拓一投手を育てた。沢村が「プロ入りするだけでなく、活躍できる投手にならないと意味がない」と高い意識を持てたのはプロ通算60勝の経験者がそばにいてこそだった。

今春、東大野球部をコーチしたのが元中日の谷沢健一氏で、東大は勝てないまでも打力ははっきりアップしていた。

▽新しい段階のプロ・アマ交流

高校野球では教員免許を持ったプロ経験者が指導する高校が甲子園大会で優勝したり、社会人野球では野村克也氏がシダックスの監督をやったりした。アマ野球の牙城である大学野球が、学生野球憲章の改正を機に今春からプロ球団との練習試合を行うなど、今後は元プロの指導者が増えるだろうし、プロ・アマ交流は新しい段階に入ってきたといえる。

それを実感させる野球のシンポジウムが6月25日に東京・恵比寿であったのでのぞいてきた。パネルディスカッションには、7月3日から米国で行われる日米大学野球選手権に出場する4選手が参加した。

▽一部、物足りなさも

4人とは慶大・伊藤隼太外野手と東海大・菅野智之、明大・野村祐輔、東洋大・藤岡貴裕の3投手。いずれも今年秋のドラフト会議で1位指名が確実視される有望選手である。その金の卵たちが、小宮山悟氏(早大―ロッテ、大リーグメッツなど)ら3人の大学野球出身の元プロ選手と対談した。

予想されたこととはいえ、選手側は口数が少なく、技術論が主となれば、OBの経験談を聞く場にならざるを得なかった。大学野球の在り方などの話があってもよかったと思ったのは、プロ志望のトップアマ選手だけのプロ・アマ交流であってはならないからだ。少々物足りなさを感じながら会場を後にした。

▽不幸な歴史を繰り返すな

野球のプロとアマの断絶の象徴である昭和36(1961)年の「柳川事件」、4年前の「裏金問題」など、日本球界のプロとアマはいびつな関係にあった。不幸なことだ。

誰もが口にする「アマ野球あってのプロ野球」はそのとおりである。甲子園大会を頂点にした高校野球、リーグ戦で競い合う大学野球、そして社会人野球。プロ側から見れば、願ってもない下部組織となっているわけで、これを育てることはあっても、球団のエゴで草刈り場にしてはダメだ。歴史の教訓に学ぶならば、プロ側には常に襟を正しておくことが求められる。

▽交流で広がる可能性

高校野球で沖縄勢がここまで強くなったのは、30年ほど前に日本ハムが初めて沖縄県(名護市)で春キャンプを張ったことが大きい。当時の沖縄球児は全体的に体が小さく、そのトレーニング法も含め、プロの技術や練習方法を間近で見られるのは地元の高校野球指導者にとって願ってもないことだった。

直接の指導はできなくても、野球の底辺は自然に広がっていった。他県にも同じような話はあるが、それが今や、アマ球界は遠慮なくプロの技術を直接学べるようになった。だからこそ、もう一度言いたい。「プロ野球よ、何度も失敗をするな」と。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信社では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆。