大相撲を揺るがした一連の八百長問題で注目されたのが「支度部屋」の存在だ。八百長行為の「打ち合わせ」の現場になっていたとして、まるで不正の温床のように見られた。ただ10年以上も相撲記者をしている私は、ここで取材のイロハを学ばせてもらった。

今とは違い、1990年代は極めて口数の少ない力士が多かったから、閉じたままの口を開いてもらった瞬間の快感は忘れられない。和気あいあいの近年とは対照的で、当時はまだ緊張感が保たれていた。横綱貴乃花が歩くだけで自然と道が開き、シーンと静まり返ったものだった。貴乃花は寡黙な力士の代表格で、普段は二言三言がほとんど。千秋楽に場所を総括するケースが多かった。現役引退後、貴乃花親方は「私は目の前の土俵に集中していたので、取組が終わっても言葉が出てこなかったんです」と説明してくれた。一途な姿勢に感服したものだ。

力士として最も脂が乗り切った時期に、勝っても負けても報道陣に背中を向け続けた中立(なかだち)親方(元小結小城錦)も難攻不落だった。名門の出羽海部屋で育った美男の技巧派で、現在は新弟子が通う相撲教習所の教官をしている。技量審査場所のある日、中立親方と支度部屋での無言の日々について昔話をしていたら、答えは明解だった。「あの場所は人としゃべるところじゃないだろう。勝負に備える場だ。それに記者さんも言った通りのことを書いてくれないからな」

熱心な大相撲ファンの方ならご存じだろうが、現在の中立親方は大相撲中継で美声の名解説者として定評があるほどの論客だ。鮮やかなグリーンのまわしが良く似合う小城錦に、新米相撲記者時代の私はなぜか魅了された。連日のように、背中越しに顔をのぞき込むようにして質問し続けた。数場所が経過するうちに怖いうなずきが笑顔に変わり、最後は取り口を絶妙に分析してくれるようになった。足を運べば思いは伝わる―。「記事は足で書く」を体感させてくれた力士の中の一人が、小城錦だった。

大相撲が熱気と緊迫感に包まれていた90年代は、小城錦のような力士がたくさんいた。貴乃花の他にも上位陣では小錦、武蔵丸。曙も必要以上の冗談は口にしなかった。当時は若手だった武双山や魁皇も寡黙で、ベテランの琴錦や安芸乃島、貴闘力は威圧感十分。支度部屋の通路の真ん中付近に立っていた私は琴錦に「おーい、邪魔だねえ」と笑顔で注意され、目だけが笑っていない表情を見て全身が凍り付いた。安芸乃島には「くだらない質問をするな!」と一喝され、大量の汗が背中を滑り落ちたこともあった。

世間の注目を集めた技量審査場所の支度部屋は、さすがに静寂を取り戻していた。「勝って笑顔でヨッシャーなんて、相手にどれだけ失礼か。負けた時は黙って反省すればいいんだ」とは藤島親方(元大関武双山)の最近の言葉だ。「勝っておごらず、負けて腐らず」の精神を各力士に植え付ければ、大相撲はどれだけ面白くなるか。支度部屋を監視する親方衆の仕事は、携帯電話の規制や東西の往来に目を光らせるだけではない。

田井 弘幸(たい・ひろゆき)1973年生まれ。大阪府出身。96年に共同通信入社。大相撲担当からプロ野球の阪神、中日担当を経て、2002年から大相撲、柔道などを担当。