W杯という、サッカー選手ならば誰でもが憧れるひのき舞台。それにまったく縁のなかった選手のなかにも、サッカー史に名を残す名選手は数多くいる。過去を見れば、北アイルランドのジョージ・ベスト、リベリアのジョージ・ウェア…。そして、この人もまた、近い将来同じように語られるのだろう。

▽シャルケ戦でも圧倒的な存在感

UEFAチャンピオンズリーグ(欧州チャンピオンズリーグ)準決勝第1戦。4月26日、アウェーで内田篤人の所属するシャルケを、マンチェスター・ユナイテッド(マンU=イングランド)は、2-0のスコア以上の内容で撃破した。マンUのファーガソン監督が「最高のパフォーマンスだった」と評価した試合。なかでも試合のMVPに選ばれたルーニーとともに、圧倒的な存在感を示したのがウェールズ出身のライアン・ギグスだった。

▽苛立ち、払拭するゴール

シャルケGKノイアーは昨年のW杯以降、飛躍的な成長を遂げている。そんなドイツ代表守護神の美技連発の前に、マンUは攻め込むもののゴールが得られていなかった。そのマンUの苛立ちをいとも簡単に払拭したのが、“レッドデビルズ"の生ける伝説、ギグスだった。67分にルーニーのスルーパスに合わせて、絶妙のタイミングでゴール前に飛び出すと、GKノイヤーの股間を抜くシュートで先制ゴールを奪った。

▽サッカー界の世界遺産

現在37歳と5カ月。ギグスはこのゴールでチャンピオンズリーグの大会最年長記録を更新することとなった。1990~91年シーズンに17歳でプロデビューして以来、今シーズンで20年目。ただでさえ消耗の激しいサッカーという競技で20年のプロ歴は驚異的。それも世界最高のマンU一筋、さらにW杯以上といわれるチャンピオンズリーグで、名だたるスターたちを差し置いて、常に主役というのは、もはやサッカー界にとっての世界遺産としかいいようがない。

▽鮮烈な記憶残した19歳

現在はプレーメーカーとしての役割を強めてきたが、若いころは典型的なウイングだった。恐ろしく技巧的なボール扱いと、スピードを併せ持つ左サイドのスペシャリスト。彼の存在を認識したのは93年だった。94年W杯米国大会出場を目指す日本代表が、カタールでのアジア最終予選を控え、9月にスペインのカディスで合宿を行ったときのことだ。サマータイムが切り替わった10月の最初の週に経由地のロンドンからマンチェスターに足を伸ばした。まだイングランドの古き良き雰囲気を残すスタジアム、改修前のオールド・トラフォードがそこにあった。

当初の目的は“キング"と呼ばれたエリク・カントナだった。しかし、あとになって思い返すと、そこにカントナがいたのかさえも覚えていない。記憶に残っているのは、マンUのお土産袋を持っていたためにスウィンドンのサポーターに絡まれたのと、赤いユニホームを着て左サイドにいた19歳の青年のプレーだけだった。

▽代表チームに恵まれなくても

イングランド1部リーグが、現在のプレミアシップになった92~93年シーズンから唯一すべてのシーズンで得点を記録しているギグス。彼は同じウェールズの先輩、リバプールのイアン・ラッシュやマンUのマーク・ヒューズと同じく、代表チームには恵まれなくても、所属クラブだけでサッカー史に名前を刻んでいくのだろう。そして今年もまた、ギグスは輝かしいキャリアのなかに、さらにタイトルを加えそうだ。そんなギグスを見ていると「頑張れ、オッサン!」。そう応援せずにはいられない。

岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている。