日本が初参加した2008年世界女子ボクシング選手権(寧波大会)は、男子の国際大会とは異なる世界観を持っていた。宿舎や舞台裏、そしてリングからも、「純粋に競技を楽しむ」というアマチュアリズムに加え、何か不遇を共感するような仲間意識が伝わってくる。まるで出場者たちの対戦相手は、「女性がボクシングをすること」に対する悲観的な声でもあるようだった。

「女性」と「ボクシング」は、今も噛み合いが悪い。男子の最強国キューバは、「今後も女子の派遣はない」と言いきっている。アジア大会でも、06年、「イスラムの教えに反する」などを理由に、ドーハ大会での実施が見送られた。日本国内では、全日本大会が3日目で終了。経費の関係上、決勝に残った2選手を、優勝者A、Bと定めて閉幕するのが限界だった。

当時を知る選手には、WBC世界ライトフライ級王者の富樫直美(ワタナベ)もいる。

「国際大会の代表も、試合ではなく会議で、もう一人の優勝者に決まりました。決着を付けたくても、翌年のトーナメントで、反対のブロックに入ったら、試合をできない。それで一年待つのかと思うと、かなり苦しかったですね」(富樫)

何より、いつになれば五輪に採用されるのか。ボクシング関係者でさえ、女子には賛否が割れていた。一方で、日本ボクシングコミッションの女子プロ公認があり、富樫はプロへ転向したが、「そのあと、アマの世界選手権出場が決まったときは、少し悔しかった」と、本音を口にしたこともある。

AIBA(国際ボクシング協会)は、採用に躊躇するIOC(国際オリンピック委員会)を追い回すかのように、ボクシングにケガ人が少ないデータを提示し、五輪開催国への負担も、これまでより増やさないことを約束した。そして、ロンドン五輪での公式種目に選ばれたのは、09年8月13日。以降は、日本でもJOCからの委託金が生じ、全日本大会も、決勝まで行えるようになっている。高校生たちが続々と台頭を始め、国際大会の旅費も経費へ。これには富樫も、「これが本当のスタートだと思います」と、自分のことのように喜んだ。

3月10日、タレントの山崎静代(吉本興業)もエントリーした全日本女子選手権が開幕。アジア大会の51キロ級銅メダリストの新本亜也(クリエイティブジャパン)と、世界選手権出場歴のある54キロ級の箕輪綾子(横浜さくら)は、そろって五輪階級の51キロ級でエントリーした。結局、途中で起こった大震災で対決は流れたが、両者は試合前から、口をきいていないという。ただ、こんな「仲間割れ」こそが、彼女たちの切望した舞台だったのかも知れない。ロンドン五輪では、女子ボクサーにとって歴史的なゴング(ブザーの場合もある)が鳴らされる。メダルを争って、一心に目の前の相手と戦う女性たちに期待したい。(フリーライター・善理俊哉)

善理俊哉(せり・しゅんや)1981年11月2日埼玉県生まれ。中央大学在学中から、格闘技専門誌を中心に寄稿を始め、以後、世界の格闘技取材を続けている。現在進行中の連載は、「ミャンマー・ラウェイ~知られざる癒しの素顔~(ファイト&ライフ)」、「地球の闘い方(ボクシングマガジン※不定期)」。五輪や世界戦などで、テレビの番組制作にも携わることもあって、映像編集が趣味。