2004年のアテネ五輪で、過酷な環境下にあったイラクから、唯一人、ボクシング競技で出場権を得たライトフライ級ナジャ・アリの快挙を、ここで思い出してほしい。当時、イラクの五輪代表候補の指導を任され、結果を出した米国人愛国者モーリス・ワトキンス氏の成功は、駐留米軍増派を治安回復のためと称していた米国では、書籍化、映画化の話が舞い込むほど反響を呼んだりもした。しかし、その後の、米国でなく英国でプロに転向したアリが、王座戴冠した事実は、この「五輪の美談」に及ばずとも、報道されてきただろうか?五輪後も幾多の困難を克服したアリの軌跡をたどることは、東日本大震災という未曽有の災害に見舞われ、復興を目指す今日だからこそ、決して無駄にはならないと思う。まずイラクでは、フセイン政権の時代には、国際試合で敗れた競技者に、フセインの息子による私刑が行われていたという悲惨な話が囁かれていた(アジア選手権優勝のアリは、これを逃れることができた)。五輪でのメダル獲得は逃したが、初戦で北朝鮮代表を破り、バグダッドの大学ではコンピュータ科学の学士号を取得したアリの文武両道ぶりに、米国の大手企業がアリの雇用をほのめかすほどだったが、景気の良い話もここまで。米国で修士の学位を得るべく、宗派抗争激化で国内避難民が増加した国土を、危険を顧みず何度も横断し、ようやく隣国ヨルダンの米国大使館でアリが申請した学生ビザは、なんと、米国政府によって、繰り返し拒否されたのだった。時は過ぎ、2008年6月、アリは英国に拠点を置き、プロのリングに立つ。3連勝(1K)の直後、2連敗。そのアリに、マイナーとはいえ、空位の「インターナショナル・マスターズ・バンタム級王座」決定戦出場の話が来た。昨年9月18日、バーミンガムで英国の大物フランク・ウォーレン氏主催の欧州王座戦3試合を含む、9試合が王座戦という豪華興行「7人の偉人」で、御当地出身ドン・ブローダーストの踏み台にされようとしたのだ。ウォーレン氏お抱えのスターたちが着飾った興行ポスターに、ブローダーストの写真と王座戦出場の告知はあるが、アリは名前さえ表記がない。しかし、アリは、敵地で堂々の10回判定勝利。アテネ五輪の美談のあの若者は、現在30歳。プロの拳闘家で王者なのだ。(草野克己)