タイガーマスクの伊達直人だけでない、昭和の時代に梶原一騎氏が原作を手掛けたもうひとつの漫画の主人公、矢吹丈こと「あしたのジョー」もまた平成のこの時代にあざやかに帰ってきた。昨年1月、漫画出版でフランス最大手のグレナ社から、「あしたのジョー」仏語版第1巻が刊行された際、FFB(フランス・ボクシング協会)とボクシング用具でも有名なアディダス社が揃って同作品を推薦、協賛のもとにボクシング・グローブの懸賞付きを告知するシールが表紙に貼られたのだが、コミッション創設以前の日本ボクシング界の黎明期にまで時代をさかのぼると、この事実が深みのある色彩をともなう。1933年(昭和8年)、「拳闘先進国」フランスから来日した元世界フライ級王者エミール・プラドネル一行と、18歳の少年ピストン堀口を筆頭とする日本代表との対抗戦に日本のファンは熱狂し、わが国では国民的関心事とまで評された日仏戦だったが、実はフランス本国でのプラドネルは眼疾を理由にライセンスを剥奪されており、残念なことに、彼の地では異国での草試合といった程度の認識にすぎなかった。当時の気鋭の記者陣もライセンス喪失の事実には言及しており、それに対するプラドネルからの真摯な回答が専門誌「拳闘旬報」の同年9月1日号に掲載されている。「日本選手の長所と短所」と題された同記事でプラドネルは、日本のボクサーたちの敢闘精神に敬意を表しながらも、肉を切らせて骨を断つその戦法の危うさを警告していた。さて、世界戦という舞台で遂に日仏対抗が実現したのは、比較的最近でゼロ年代に入ってからなのだが、畑山隆則(横浜光)、佐藤修(協栄)、仲里繁(沖縄ワールドリング)といった日本の精鋭たちが揃って、プラドネルが半世紀以上も前に危ぶんだような試合展開の末に敗れている。だからこそ、1933年の日仏対抗戦で彗星のように現れ、生涯を打たせて撃つボクシングに殉じたピストン堀口の強烈な印象が、のちに梶原氏に「あしたのジョー」を書く運命へと導き、その「ジョー」が今日の時代にフランス・ボクシング協会の推薦書となった巡り合わせに、感動ゆえの眩暈を禁じえない。今年1月、最初の難敵ウルフ金串との激闘に始まる5巻が出た仏語版「ジョー」だが、早くも3月に6巻のリリースが予定されている。(フリーライター・草野克己)