米ツアーのプレーオフ最終戦、ツアー選手権は今季新人のザンダー・シャウフェレが見事な逆転優勝を遂げた。しかし、シャウフェレはフェデックスカップランクでは3位にとどまり、年間王者にはなれなかった。

トーマス、こんなお茶目な表情をみせることもあります
フェデックスカップランク1位に輝いて10ミリオンのビッグボーナスを手に入れたのは、大会では惜しくも2位に甘んじたジャスティン・トーマスだった。

2人の勝者が表彰式に並んだのは8年ぶりのこと。この7年間はツアー選手権の優勝者が、イコール、年間王者となってきたが、今年はその流れが止まり、優勝者と年間王者が別々の選手になった。

ツアー選手権を制したシャウフェレにとってこの優勝は「この上ない栄誉。僕の期待と想像を上回るものだ」と謙虚に喜んでいた。

サンディエゴ州立大学を卒業し、2015年にプロ転向したシャウフェレは23歳。今季から米ツアーで戦い始めたばかりの新人だ。今夏、グリーンブライア・クラシックで初優勝を遂げ、ランクアップを果たしてプレーオフ・シリーズに出場できた。それだけでも新人としては快挙だが、それに加えてツアー選手権最終日を2位で迎えた。

「失うものは何もない」。だからこそ、焦ることなく、終始、冷静だった。とりわけ終盤17番で左ラフにつかまりながらも、無理をせず、きっちり寄せてパーを拾ったプレーが光った。「安全にプレーすることを心掛けた。17番の寄せワンは大きかった」。

どんなときも焦らない姿勢は、ライバルたちの中で揉まれながら身に付けたものだという。ジョーダン・スピース、ジャスティン・トーマス、ダニエル・バーガーは、みな同期。スピースが先にプロになり、それに続いてトーマスやバーガーが米ツアーデビューして活躍を始めたとき、シャウフェレだけは下部ツアー生活だったが、それでも「僕なりに、じっくり行こうと思っていた」。

困難にも、出遅れにも、不調にも、笑顔で取り組む姿勢は、両親から受け継ぎ、学び取ったものだと言う。父親はドイツ人とフランス人のハーフ。母親は日本育ちの台湾人。シャウフェレは4つの国籍を持つ。

父親は陸上の10種競技で五輪出場を目指していたが、交通事故に遭って重傷を負い、断念。以後、ゴルフへ転向し、人並み以上の努力を重ね、あっという間に腕を上げてクラブプロになった。シャウフェレはそんな父親の手ほどきでゴルフとゴルファーとしての在り方を覚えた。

父親の手ほどきと教育でゴルフを覚えたという意味ではトーマスも同じだ。トーマスの場合は父親も祖父もクラブプロというサラブレッドだが、トーマスとシャウフェレには、どこか通じるものがある。シャウフェレの優勝に1打及ばなかったトーマスは悔しさを噛み締めながらもシャウフェレに歩み寄り、「おめでとう」と声をかけた。

そのトーマスは大会では2位に甘んじたものの、年間王者に輝いて10ミリオンのボーナスを手に入れたのだから、それはうれしいはずである。「この1年、いいプレーをして安定した成績を残したということ。フェデックスカップに名前を刻んだことは、とても大きいし、素晴らしい」。

そう言いながらも、トーマスの表情は晴れ晴れとはしていなかった。すでに年間5勝を挙げていたトーマスは「絶対にここで勝って6勝目を挙げたかった。勝てるチャンスは十分にあった」。だが、最終日の朝は「とても緊張してしまっていた。まるで(最終日に崩れた)今年の全米オープンの最終日の朝みたいだった」。それが最大の敗因となったことが、トーマスの悔しさを倍増させていた。

「ザンダーの今日のプレーは素晴らしかった。僕は僕で、この年間王者と10ミリオンのボーナスは勝たずして手に入れた僕の最大の収穫だ」。

フェデックスカップの最終ランクで1位になり、年間王者になったトーマス、2位になったスピース、3位になったシャウフェレが全員ハイスクール時代からの同期というのは、偶然のようで偶然ではない。

良き人間、良きライバル、そして彼らを支えてきた良き家族。人と人の良きつながりが素晴らしい勝者たちを生み出している。喜び人、悔しがる人、さまざまだったが、米ゴルフ界の層の厚さと奥行きを感じさせられる展開だった。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

<ゴルフ情報ALBA.Net>