1人の人間がもらう運と不運は、実は同じ量なのだという話をどこかで耳にしたことがある。なるほど、それは本当なのかもしれないなあと思ったのは、フェニックスオープン最終日の昼下がりだった。

20万人が大熱狂!松山英樹のスーパーショット!
大会史上6人目の連覇ににじり寄っていた松山英樹の前に立ちはだかったのは通算17アンダーで先にホールアウトしたウェブ・シンプソン(米国)。プレーオフにもつれ込むことなく勝利を決めるためには、同じ17アンダーの松山は上がり3ホールで最低でも1つスコアを伸ばさなければならない状況。

しかし、16番も17番もバーディが奪えず、最後の望みをかけたのが72ホール目の18番。だが、6メートルのバーディパットは、カップのフチぎりぎりで止まってしまった。

「あとひと転がり、転がらないかなと思った」

松山自身は、それを不運とは感じていなかったに違いない。だが、「転がってくれれば…」「入ってくれれば…どれだけ楽だったか」と振り返った彼の言葉を咀嚼すれば、それが幸運ではなかったことは確かだった。

それをあえて「不運」と呼ぶとすれば、松山のその不運が、もはや自力では何もコントロールできずにひたすら運命を待っていたシンプソンに戦うチャンスをもたらしたことになった。

そう、あのとき「松山の不運」は「シンプソンの幸運」になった。18番グリーン上で思わず天を仰いだ松山。プレーオフ突入の知らせを聞いて、目に輝きを増したシンプソン。2人の姿は対照的だった。

そしてプレーオフは、なかなか決着がつかず、1ホール目の18番も2ホール目の18番も、ともにパー。冒頭の「運と不運は同量」の話を思い浮かべたのは、その次のプレーオフ3ホール目となった10番の展開を眺めたときだった。

松山もシンプソンもティショットを右のフェアウェイバンカーに入れた。先に打ったシンプソンはピン上5メートルを見事にとらえ、松山の2打目はグリーン奥のカラーへ。「ハー」と荒い息遣い。獲物を追うような鋭い視線。パターを握った第3打は、しかしカップには寄らず、1メートル以上を残した。

次はパットには定評のあるシンプソンのバーディパット。決めればシンプソンの逆転優勝。そのとき松山は何を思ったか。「まあ、決めるんなら決めてくれと思った」

潔い。最高に潔いではないか。シンプソンのバーディパットを自分がコントロールできるわけではない。もはや運命を待つだけ。それは松山の72ホール目の結果を待っていたシンプソンとそっくりの状況だった。

いざ、打ち出したシンプソンのバーディパットは、カップの淵に無情に止まった。「入ったと思った」 あとひとコロがりしてくれと、シンプソンも祈るように見つめたが、ボールはカップの中に消えることはなかった。

シンプソンにこのパットを決められていたら、もう後が無かった松山だが、「助かったと思ったか?」と尋ねたら、「まだ自分のパーパットが残っていたので、そうは思わなかった」。

どこまでもアスリートの松山は、相手のミスを望むことはなく、相手がパットを外したことで生きながらえたと喜ぶこともない。

ただひたすら、自分のゴルフをするだけ。だが、あのときの「シンプソンの不運」が「松山の幸運」、いや彼の偉業へと、つながっていったことは確かだった。

次なるプレーオフ4ホール目の17番。パーで終えたシンプソンを傍目に、松山は3メートルのバーディーパットをしっかり沈めてガッツポーズ。

丸山茂樹の米ツアー3勝を上回る4勝目を達成。その快挙は言うまでもなく松山の努力と実力の賜物だ。だが、米ツアーで戦っていた丸山は口癖のように言っていた。

「実力だけでは勝てない。運も必要」

丸山の言葉が真実で、運と不運は同量という話も真実だとすれば、その真実がすべて起こったときが、松山がフェニックスオープン2連覇を達成したサンデーアフタヌーンだったのだろう。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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