次週オーストラリアにあるキングストンヒースGCで開催される、ゴルフの「ISPSハンダワールドカップ・オブ・ゴルフ」。松山英樹と石川遼が日本代表として戦うとあって、大きな注目が集まっている。実はこのワールドカップと日本ゴルフ界とは大きな関わりがある。その歴史を、日本ゴルフ界の“生き字引”福島靖氏に聞いた。

初タッグを組むことになった松山英樹と石川遼


●大会の創始(文中敬称略)

 アメリカ海軍が誇った原子力潜水艦(ノースチラス号)とカナダカップゴルフは深い関係にある。この潜水艦はゼネラルダイナミックス社が建造したもので、同社の会長職にあったのがジョン・J・ホプキンス。同氏はゴルフ愛好家だった。カナダ在勤時代の1953(昭和28)年、カナダカップの創始に動いた。当時のカナダのゴルフ事情は、他のスポーツに比べると余りにも低調だったのを不憫に思い、親交のあった当時のアイゼンハワー米大統領に相談を持ちかけ、ゴルフを通じて国際親善を図るゴルフの国際競技開催を提唱した。かくして第1回のカナダカップ大会はゼネラルダイナミックス社のあったカナダ(モントリオール)で7か国の参加を得て開かれた。

 1955(昭和30)年から国対抗戦にインターナショナルトロフィー(個人戦)が加わり、1957(昭和32)年の日本開催時には参加国が30か国に達した。


●日本のカナダカップ参加

 カナダカップが創始された昭和20年代、日本のスポーツ界は戦争責任を問われて国際大会からことごとくシャットアウトされていた。オリンピックも同然だった。戦後のオリンピック参加は1952(昭和27)年のヘルシンキ大会だった。カナダカップも主催者から無視されていた。

 1953(昭和28)年、英国のエリザベス女王の戴冠式がロンドンで行われ、現天皇が皇太子時代、昭和天皇のご名代として参列された。この時、皇太子は米国経由で渡英され、米国滞在中カナダ訪問の機会があった。時の駐カナダ大使・井口貞夫の手引きでゼネラルダイナミックス社を訪れた。井口は東京ゴルフ倶楽部の会員で、ゴルフの好きの外交官だった。カナダカップの開催を知っていたので、ホプキンスに『戦後8年を経て、日本の国内情勢も落ち着いてきた。ゴルフは日本国内でも復活していて、ゴルファーも増えている。この際、日本のカナダカップの参加を検討してもらいたい』と持ちかけたことから、日本の参加が実現し1959(昭和29)年、中村寅吉、石井廸夫が初めて出場した(団体14位タイ)。井口の働きかけが功を奏した。翌1959年にはホップキンスが訪日し、日本のゴルフ界の中枢だった野村駿吉、小寺酉二両氏が日本のゴルフ界を代表して歓迎し、カナダカップの日本開催を打診している。

 1955(昭和30)年の大会はワシントンで開催され、小野光一と栗原甲子男のぺアが出場して団体13位タイになった。


●林、石井(廸)の大健闘

 1956(昭和31)年のロンドン大会はロンドン郊外のウエントワース西コースで開催された。日本代表は林由郎と石井廸夫。団体4位タイという好成績を残して、日本のゴルフが世界の話題になった。優勝はゴルフ王国アメリカで、この時アメリカの代表は人気絶頂のベン・ホーガンとサム・スニード。両者は最終日のプレーで仲良く68をマークして団体優勝をとげたが、日本の林、石井もともに68を出して好成績に繋げたから世界のゴルフ界は眼を見張った。これで日本開催に向けて拍車がかかった。

●日本開催でゴルフ熱が高まる

 1957(昭和32)年元旦の読売新聞一面に『カナダカップ開催』の社告が出た。キャッチフレーズは“原子力の平和利用“だった。カナダカップを主催するゼネラルダイナミックス社は原子力潜水艦の建造で知られる。折しも日本は原子力の利用に向けて動き出した矢先のことだった。読売新聞の社主、正力松太郎氏は原子力担当の国務大臣だった。かくして日本で初めてのゴルフ交際競技は霞ケ関CC東コースを舞台に、30か国が出場して10月14日に開幕した。主催は国際ゴルフ連盟、読売新聞社と日本ゴルフ協会が共催となった。大会競技の模様は日本テレビから実況中継(カラー放送)され、ゴルフというスポーツが初めて電波を通じて茶の間に入った。日本代表は中村寅吉と小野光一。団体戦を制し、中村は個人戦にも勝った。団体戦、個人戦制覇という快挙に日本のスポーツ界は驚いた。この結果、ゴルフは普及の方向に流れ、ゴルフ場の建設が盛んになり、ゴルフ人口が急増してアマチュアの競技会が増えた。

 カナダカップはその後、1966(昭和41)年に日本では2度目の第14回大会が読売CCで行われた。日本代表は杉本英世、河野光隆のペアで5位。アメリカはアーノルド・パーマー、ジャック・ニクラスのペアで臨み、団体優勝を果たした。個人戦では杉本が大健闘し、優勝を決めるプレーオフに敗れて2位になった。この時のアメリカ代表はゴルフ場周辺の交通事情を考慮し、ヘリコプターで練習場に舞い降り、コース入りをした。

 2002(平成14)年、伊沢利光、丸山茂樹のペアが団体2度目の優勝をとげている。今年はオーストラリアでの開催が予定されている。オーストラリアでの開催は1959、1972年に続き3度目。日本は先の日本オープンに続き、世界ゴルフ選手権を制する快挙を達成した松山英樹を柱にした日本チームの健闘に期待したい。


文・福島靖
1933年、神奈川県生まれ。中日新聞、夕刊フジの運動部記者として、ゴルフをはじめ様々なスポーツを取材。中日新聞時代には、現在の中日クラウンズの創始に携わる。90年、東京GC資料室を創設。
 
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