<大東建託・いい部屋ネットレディス 最終日◇31日◇鳴沢ゴルフ倶楽部(6,587ヤード ・パー72)>

 「大東建託・いい部屋ネットレディス」の最終日、首位と1打差の3位タイから出たプロ1年目のささきしょうこがトータル9アンダーに伸ばしてツアー初勝利を挙げた。「昨晩はほとんど寝れず、朝も食事が喉を通らなかった」というほど緊張感にさいなまれたが芯の強さを見せて、2週連続優勝を狙うアン・ソンジュ(韓国)、同期の岡山絵里を退けて優勝を勝ち取った。

ささき、全身で優勝の喜びを現す!
 「自分ではまさか優勝するとは考えていなかった」と試合後に振り返ったささき。前半に3つ伸ばし、トーナメントリーダーで迎えた後半は試練の9ホールに。10番で1mのバーディパットを外すと11番で3パットのボギー、12番で1つ取り返すも、終盤に差し掛かる15番では再びのボギー。1打差で迫ってくる同組の岡山がいやがおうにも気になってくる。磨いてきたパットへの自信がなくなり不安が心を支配しそうになったが「まだリードがある」と切り替えて、17番で会心のバーディ。最終18番を2打差で迎えるも「ウイニングパットを決めるまでは何が起こるかわからない」と集中力を高めたささき。最後のパーパットを決めたあとは咄嗟に大きなリアクションは出ず、実感が沸いていないことがギャラリーに見て取れるくらいゆるやかに門田キャディと握手し、直後に優勝を争った岡山から祝福を受けた。

 本名の“笙子”が読みづらいと考え、昨年のプロテストに合格後に平仮名で登録。名前を覚えてもらうためにした行動だが、幼きころから“プロで活躍するために生活してきた”ゆえの決断だと考えれば合点がいく。

 小学校2年生の頃に青木功のゴルフ殿堂入りの式典をテレビで見て、「私もああなりたい」とプロゴルファーへの夢を抱くも父・修治さんは大反対。それもそのはず、小学校の頃は1日学校に行ったら1週間から10日間は休むくらいの病弱ぶり。冗談と受け取った修治さんは“当時のささきでは到底できない基礎トレーニングを半年間1日も欠かさず続けられたら考える”と条件提示。熱を出して寝込むと思われた娘は見事やりとげ、修治さんは考えを改めた。

 家族3人で夢へ向かった進んでいくことを決めてから、修治さんは務めていた警備会社を辞め、さらに自宅も売却して資金。兵庫県のマダムJゴルフ倶楽部(旧ウォーターヒルズゴルフクラブ)へ、練習環境を作ってもらえることを条件に住み込みで働き始めた。

 中学生になる頃には「“娘の仕事はゴルフ”と決めましたから。サポートはするけど、行動はあなたがすること。だから自分で試合を取ってきなさい(修治さん)」という考え方のもと、ささきも自立を促され、マンデートーナメント出場の推薦をお願いする電話を自分でかけて交渉していたとか。ジュニア時代からツアー競技を優先してきたのも、プロになる経験を積むことができる舞台だったからだ。

 中学生から高校生になると家族の決断の重みを理解し始め“逃げだしたい”と思ったというささき。それに対して父は「無理に続ける必要ない。やめたかったらやめたらいいやん。いまからでも何でも仕事できるし、1か月くらい考えたらいいと(修治さん)」。プロになって恩返ししたいと思い直したささきは、昨年プロテストに合格。ツアー本格参戦1年目で報いることができた。優勝賞金は「そのままあげたい。使い道は父と母の好きなように」。

 「1勝してもまだまだだと思うので、永くツアーで活躍できるようになりたい。ゴルフを始めたときは“私も殿堂入りしたい”と思った。いつか海外にいけるように」。“ゴルフという仕事”を中学生の頃からしているささきにとって、この1勝はあくまで通過点だ。

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