ダスティン・ジョンソンがメジャー優勝にたどり着くまでの道程は、それはそれは長かった。

 今でも鮮明に覚えている。ペブルビーチで開催された2010年全米オープン。ジョンソンは首位で最終日を迎えたが、サンデーアフタヌーンに彼は「82」と崩れ、8位に終わった。長く伸びたラフに何度も翻弄されながら、ずるずる後退していったジョンソンが苦悩で歪めた表情が脳裏に焼き付き、長い間、離れなかった。

 それから2カ月後の全米プロは1000個以上のバンカーが点在するウイッスリングストレイツが舞台だった。ジョンソンは1打リードの首位で72ホール目を迎え、勝敗の決着はジョンソンとマーチン・カイマー、バッバ・ワトソンの3人によるプレーオフにもつれ込むと思った矢先、ジョンソンは72ホール目でバンカーをバンカーと気づかず、クラブをソールしたことをルール委員から告げられ、2打罰を食らった。プレーオフを戦うことすらできず、5位に終わったあのとき、ジョンソンは唇を噛みながら去っていった。

 2014年の全米オープンは4位だった。昨年大会では今度こそ優勝のチャンスに迫ったが、1パットなら勝利、2パットならプレーオフという状況だった72ホール目のグリーンで、1メートルを外し、3パットしてジョーダン・スピースに勝利を差し出す結果になった。

 米ツアーでは9勝を挙げながら、メジャー大会ではどうしても勝てないことの繰り返し。いやいや、ゴルフのみならず彼の人生そのものも山と谷を繰り返してきた。

 ハイスクール時代、ジョンソンの友人たちが窃盗事件に関わって逮捕され、ジョンソンも事情聴取を受けた。もちろんジョンソンは事件とは無関係だったが、後日、友人たちが盗んで転売されていったピストルが重い事件に使用され、ジョンソンの親友は生涯を塀の中で過ごす判決を受けた。その知らせを受けたとき、ジョンソンは親友の人生の諸々を想い、「ひっそりと、夜通し泣いた」。

 米ツアーのスタープレーヤーになってからも彼の身の上には「何か」が起こっていた。あれは2014年の夏。まだまだビッグな大会が続くというタイミングで、ジョンソンは突如、「個人的な事情」とだけ告げて、ツアーを自主的に欠場した。米ツアーは本当の理由を明かさなかったため、憶測ばかりが広がっていき、ドラッグ使用や出場停止処分などが噂されたが、真実はいまなおわからない。

 だが、2015年の2月にまたまた突如、ツアーへ復帰すると、すぐさま世界選手権シリーズのキャデラック選手権を制し、陰口や悪口を実力で封じた。

 チェンバーズベイの72ホール目に1メートルを外して惜敗したのは、それから3か月後だった。

 ジョンソンがメジャーを制する日は近いと言われながら惜敗を繰り返し、彼にとってのメジャー優勝は近づいては遠のく陽炎みたいなものだった。今大会の最終日の5番で出くわした「ボールが動いた」というルール上の出来事は、まるでウイスリングストレイツの再現のようだったが、彼はリードを広げ、最終的に科せられた1打罰を自力で「無意味なもの」と化した。

 オークモントで迎えた72ホール目。ピン1メートルにピタリと付けたセカンドショットは見事だった。

「僕はメジャーチャンピオンにふさわしいプレーをした」

 その通り。幾多の山と谷を乗り越えてきたジョンソンが、とうとう陽炎を捉まえた。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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