来季の米ツアー出場資格を競い合うウエブドットコム・ファイナル4戦が終了し、今大会18位、4試合の最終成績12位になった岩田寛が、来季からは主戦場を米国へ移す。

今季「セガサミーカップ」16アンダーで逆転優勝した岩田
 最終戦の最終日の夕暮れ。全選手がプレーを終えた後、クラブハウス前のオープンスペースで、晴れて来季の米ツアー行きを決めたウエブドットコムツアー上位25名とファイナル4戦の上位25名の合計50名(注:実際に出席できたのは32名)が式典で檀上に上がり、文字通りの「ツアーカード」を手にしながら、シャンパンで乾杯をした。

 舞台の裾で出番を待ち、司会者から紹介されては、一人一人、檀上へ上がる。その様子を私も興味深く眺めていた。

 最終戦のウエブドットコムツアー選手権で1打差で勝利を逃したものの、最終成績1位でファイナル4戦を終えたのは、米国のチェズ・リービーだった。彼は米ツアーではお馴染みの選手だ。偶然にもリービーは岩田と同じ1981年生まれで、プロ転向も岩田と同じ2004年だ。

 リービーは下部ツアーを経て、米ツアーに辿り着き、ルーキーイヤーの2008年にカナディアンオープンで1勝を挙げたが、以後、成績が安定せず、下部ツアーと米ツアーを行ったり来たり。そして今季もシード落ちとなり、このファイナル4試合に逆戻りしたが、終わってみればランク1位で米ツアーへのカムバックを決めた。

 「数年前もケガをして、お先真っ暗の人生になったけど、この4戦、そして今日は僕の人生で最高のゴルフをして、米ツアーの僕の居場所を取り戻すことができた」。
 
 ファイナル4戦を6位で終えたのは、アーノルド・パーマーの孫、サム・サンダースだった。米ツアーに初めて上がる選手、すでに優勝したことがあるのに逆戻りし、再び米ツアーへカムバックする選手もいる。50名の年齢幅は最年少のシー・ウー・キムの20歳から最年長はディッキー・プライドの46歳まで、実に幅広い。

 そんな各選手の特徴が短く紹介文されていく中、ヒロシ・イワタの紹介は「全米プロ2日目に63をマークした選手」だった。

 米ツアー関係者や米メディアから見れば、大急ぎで作る岩田の紹介のフレーズが「63を出した人」になるのは頷ける。

 だが、岩田はきわめて個性派で、もっとさまざまな魅力があることを、これから岩田自身が米ツアーでゴルフや転戦生活を通して披露していけば、いつか彼が再び公けの場で紹介されるとき、その内容は単なる数字の紹介ではなくなるはず。そんなことを思った。

 岩田が今年、このファイナル4戦に挑もうと決意したのは、昨秋のHSBCチャンピオンズで3位になった直後。

だが、彼は3年前にもひっそりと米ツアーのQスクールに挑んでいたし、もっと以前の2008年にもQスクールに挑戦していた。

 アメリカを目指す思いは幼いころから抱いており、いざ、これから米ツアー挑戦のスタートラインに立った今、彼は躊躇することなく「(日米)両方というのは、そんなに甘い世界じゃない」と言い切る。

 米ツアーに「飛び込もう」「解け込もう」という意識も、すでにある。

 「(米ツアーで)愛されたいです。英語でスピーチもしたいし、友達もいっぱい作りたい。まず英語がしゃべれるようになりたい」。

 英語で話しかけられても単語を発するのが精一杯の今は「せっかく話しかけてもらっても会話が続かないんです」と残念がる。

 米ツアーの仲間たちと意志の疎通を図り、米ツアー選手として息の長いキャリアを積み上げたい。そんな未来図を描いている。「引退しても仲のいい人がいっぱいいてほしい。そりゃあ、僕だって全勝したいけど。世界ランク1位にもなりたいけど、コツコツ行きます」。
 
 気を抜けば、すぐに落ちたり、逆戻りしたりするのが米ツアー。コツコツ前進を続けることこそが、まずは最善の道。

 式典の最後に司会者が言った。
「I don’t see you again.(もう2度と会いません)」
 これから米ツアーに行くキミたちには、下部ツアーに戻ることなく前進してほしいという願いが込められた絶妙な一言。

 檀上の岩田は聞き取れただろうか。聞き取れなかったとしても、彼は地道な前進をすでに心に誓っている。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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