「バレロ・テキサス・オープン」最終日の終盤は、ジミー・ウォーカー(米国)のワンマンショーみたいなものだった。もちろん、必死の追撃をかけたジョーダン・スピース(米国)の14番から17番の4連続バーディーも見事だったが、そんなスピースの猛チャージをもってしても、さらに先を走るウォーカーを捉えることはできず、最後は4打差。ウォーカーの圧勝だった。

ジミー・ウォーカーのプロフィール
 ウォーカーもスピースもテキサスで生まれ育った選手ゆえ、TPCサンアントニオに詰めかけた観衆は地元のヒーローたちの熱戦に沸き返っていた。だが、ウォーカーの完璧に近いプレーぶりと、この2シーズンにおける成長を惚れ惚れしながら眺めていたのは、テキサス住民だけではなかったはずだ。

 そう、ウォーカーの名前が広く知られるようになってから、まだわずか1年半ぐらいしか経っていないのだ。ウォーカーは昨季開幕戦の「フライズ・ドットコム・オープン」で米ツアーデビューから9年目の35歳(当時)にして、ついに初優勝を挙げた。そして暦が2014年に変わった途端、今度はハワイで「ソニー・オープン・イン・ハワイ」を制し、西海岸ではペブルビーチで勝利を挙げた。シーズン早々に、わずか8試合で一気に3勝。フェデックスカップランク1位に躍り出たウォーカーは米メディアから「地味でうだつの上がらなかった選手の“突然変異”」などと書かれつつ、注目の存在となっていった。

 そういえば、昨季の「フライズ・ドットコム・オープン」を制し、夢にまで見たマスターズに初めて出場が決まったウォーカーは、13年の暮れに友人たちとオーガスタ見学旅行に繰り出し、ゲート前からマグノリアレーンを眺め、身を震わせたのだそうだ。

 ウォーカーの歩みを振り返れば、01年のプロ転向後、下部ツアーで腕を磨き、04年には下部ツアー賞金王へ。翌年、米ツアーデビューを果たしたが、度重なる故障に喘いだルーキーイヤーは年間9試合しかプレーできず、翌年以降はシード落ち、二軍落ち、Qスクール(予選会)へ逆戻り。しかし、08年はQスクール11位で生き残り、09年は賞金ランク125位のぎりぎりセーフで生き残り、以後は徐々に徐々にさまざまな数字を向上させながら、しがみつくように生きてきた。

 そんなウォーカーが13年の秋から“突然変異”を起こし、あれよあれよという間にトッププレーヤーの仲間入りを果たすことができた最大の理由は、ブッチ・ハーモンの手ほどきを受けるようになったことだ。

 190センチ近い大柄な肉体。ロングドライブを放つための土台を元々持ち合わせていたが、その活かし方がよくわかっていなかった。そんなウォーカーに有効活用の仕方を教え、彼が最も得意とするパットをさらに磨き上げ、才能と素養をすべて開花させたのがハーモンだった。

 「ジミーこそは本物。マスターズを制覇するための準備はすでに万端だ」

 昨年のマスターズ開幕前、ハーモンはそう言っていた。そして、ウォーカーは8位になり、その後は、「全米オープン」でも「全米プロゴルフ選手権」でもトップ10入りを果たした。

 今年もシーズン序盤からウォーカーはノリノリで、いい流れを作り出している。ハワイでは「ヒュンダイ・トーナメント・オブ・チャンピオンズ」で松山英樹と優勝争いを演じ、あのときは惜敗に終わったが、ウォーカーは翌週の「ソニー・オープン・イン・ハワイ」を自らの雪辱戦に変えて、大会2連覇をやってのけた。そして今週は「バレロ・テキサス・オープン」を圧勝し、米ツアー通算5勝目を挙げて故郷に錦を飾った。今シーズン2勝目を挙げた米ツアー選手は今のところ、ウォーカーただ一人。そんな彼は今年の「マスターズ」でグリーンジャケットに誰よりもニジリ寄っていきそうな気配が漂う。

 「オーガスタは大好き。あそこで大切なのは、“流れ”と“自信”だ」

 それは、今“流れ”と“自信”の両方を持ち合わせているウォーカーが自ら口にした優勝宣言に近い一言だった。

 そう、彼こそは今年の「マスターズ」の優勝候補の筆頭。私は、そう思っている。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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