AT&Tペブルビーチ・ナショナル・プロアマを制したブラント・スネデカーが18番グリーンでマイクを向けられたとき、感極まって声を詰まらせた。その様子を眺めながら、プロゴルファーというものの繊細さと脆弱さをあらためて痛感させられた。

【舩越園子コラム】惜敗を勝利につなげるために 松山英樹の課題
 スネデカーと言えば、2007年に米ツアー初優勝を挙げ、11年、12年にも勝利を重ね、フェデックスカップ総合優勝に輝いた選手。13年にはこのペブルビーチとカナディアンオープンで勝利し、すでに通算6勝の強者だ。しかし、彼がプロゴルファーになった原点とも言えるマスターズは、まだ制していない。そう、彼はまだ旅の途上で、志半ばだ。それなのに、これまで何度も何度も故障に泣かされ、手術やリハビリを繰り返す辛い日々を噛み締めてきた。だが、そのたびに彼は歯を食いしばって不調から這い出してきた。

 2012年のフェデックスカップ総合優勝に続き、13年は年間2勝と波に乗っていたスネデカー。その勢いを止めたのは13年11月にセグウエイから飛び降りて膝を痛めた事故だった。14年の年明けから試合には出場したが、体の動きやフィーリングの微妙な狂いが成績をみるみる下降させ、かつてのフェデックスカップ王者は、わずか2年後には86位まで転落。けれど彼は諦めず、辛抱強く練習を重ねて復活を目指した。

 そして今季。開幕シリーズから3度のトップ10入りで光が見え始めていたが、今大会を迎えたときの世界ランクは63位。オーガスタへの切符は得られていなかったが、スネデカーは焦らず、力まず、我慢のゴルフを続けた。スマートなクラブ選択でフェアウエイを捉え、精度の高いアイアンショットでペブルビーチのスモールグリーンを確実に捉えた。終盤は独走体制。それでも彼は淡々とプレーし続け、2位に3打差で勝利を掴んだ。

 「特別な気分です。今日はパーフェクトなゴルフではなかったけど、肝心な場面でキーになるショットを打ち、キーになるパットを沈めることができた……」

 もう強い自分へ戻ることは二度とできないのではないか。そんな不安におののきながら、それでもクラブを振り続けた日々は苦しかったに違いない。そこから抜け出し、カムバックできた。再び勝つことができた。そんな万感の思いが涙になった。

 その昔、米ツアーで早々に初優勝を挙げたスネデカーは生意気だった。が、08年マスターズで勝利を確信しながら最終日に大崩れして号泣したときから、彼はゴルフに対して謙虚になった。その後、何度も故障と手術を繰り返し、痛みを知ったスネデカーは周囲に対しても優しくなっていった。11年ヘリテージを制したときは敗北したルーク・ドナルドを気遣った。12年ファーマーズを制したときも、敗者カイル・スタンリーを気遣った。そんな生きざまが彼の心を優しく強くしたのだろう。だから彼は、不調を乗り越え、通算7勝目を挙げ、カムバックを果たすことができた。

 スネデカーはプロアマ形式のチーム戦では2位になった。ともに回ったアマチュアのトビー・ウイルトは米国の経済界で名を馳せる企業家で、スネデカーはウイルト財団の奨学金でテネシー州の大学ゴルフ部に進み、プロゴルファーになることができた。いわば経済的な生みの親とともにプレーしてカムバックを果たしたことは、スネデカーの涙を誘ったもう1つの理由だった。

 世界ランクは31位へ、フェデックスカップランクは5位へ浮上。もちろん、一番欲しかったマスターズ出場権も手に入れた。

 「さあ次は何をしよう。今は、これからのことが楽しみで楽しみで、たまらない」

 ナイスガイの復活に大勢の人々が拍手を送っている。だが、故障に泣いた選手がこうして復活できるかどうかは紙一重だ。タイガー・ウッズが不調に陥った一端は明らかに故障にある。今大会初日に3位の好発進をしたジョン・デーリーも、ギャラリーのシャッター音でスイングを止め、肋骨を痛めたときから転落が始まった。

 もちろん、誰もが復活を目指し、復活を信じてゴルフクラブを握り続ける。けれど、そこには何の保証も絶対もない。ゴルフ界の王者もメジャーチャンプも落ち始めたら止まらない。転落を食い止め、復活できるかどうかは、大きな賭けで、チャンスは千載一遇だ。
ゴルフは怖い。プロゴルファーは脆弱だ。でも、だからこそ、勝利は偉大で、勝者は素敵に輝くのだ。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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