男子の全米オープンに続き、同じパインハーストで開催された全米女子オープンはミシェル・ウィーの優勝で幕を閉じた。

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 思えば、長い道程だった。ウィーが世の中で注目され始めたのは12歳ぐらいからだった。かつて男子と伍して戦うことを目指していたウィーは、男子の米ツアー大会にたびたび出場し、男子の全米オープンの地区予選に挑んだこともあった。そのたびに、あと一歩と健闘し、人々に夢と希望をもたらした。

 だが、同時に女子の世界ではずいぶんと反感も買い、衝突したこともあった。最終的にはプロ転向して米女子ツアーで戦うという“順当”な道へ進んだが、大叩きして途中棄権した直後、練習場で球を打っている姿を当時の女王アニカ・ソレンスタムに目撃され、棄権した選手がなぜ練習しているのだと問われて騒動に発展したなんてこともあった。

 やがて、ソレンスタムは引退。ウィーは心身ともに疲弊し、スランプに陥り、スタンフォード大学での学生生活に専念した日々もあった。やがて明るい笑顔を取り戻し、女子ツアーで仲間も増え、勝利も挙げ、彼女は彼女なりに苦労を重ね、スポットライトを浴び始めてから12年超を経て、ようやく掴んだメジャータイトル。

 巡り合わせというものは不思議な皮肉を意味するようで、ウィーのそんな記念すべき日にテレビ解説者の席に座っていたのはソレンスタムだった。とはいえ、ソレンスタムは堂々たる勝利を挙げたウィーをモニターで眺めながら「素晴らしいプレーだった。素晴らしいチャンピオンの誕生だ」と絶賛していた。

 祝福のシャンパンシャワーを浴びるウィー。解説席でTVカメラに向かって微笑みながら語るソレンスタム。2人のそんな対比が、長い長い歳月の流れを物語っていた。

 一方、1週前にメジャー大会を終えた男子のほうは、今週は通常大会に戻り、トラベラーズ選手権が開催された。最終日はK・J・チョイ、セルヒオ・ガルシア、アーロン・バデリーらによる混戦になると予想され、その通り、大混戦にはなったが、予想外の1人がその混戦に闖入し、そのまま勝利をさらっていった。

 ケビン・ストリールマン、35歳。首位に4打差の7位からスタートし、後半の12番から18番まで7連続バーディーを奪っての大逆転優勝を遂げた。昨年3月のタンパベイ選手権で挙げた初優勝に続く、通算2勝目。7連続バーディーによる優勝は、1956年にマイク・スーチャックが6連続バーディーで優勝を遂げて以来の新記録。歴史を塗り替えた猛追は、技術のみならず強靭な精神力の賜物だったのだろう。端正な優しい顔立ちのストリールマンの一体どこにそんな強さが潜んでいるのだろうか。いや、潜んでいるのではなく、それは彼が歩み来た道程において、彼自身が培い、身に付けたものに違いない。

 ストリールマンはノースカロライナ州にある名門デューク大学の出身だ。01年に卒業後、友人たちの大半はエコノミストになるべく、ウォールストリートへと進んでいった。だが、ストリールマンだけは母親の愛車だったニッサン・アルティマのハンドルを握り、サウス・ダコタへの道を走った。

 それからは、ダコタツアーを始めとする3つのミニツアーを転戦。07年秋のQスクール(予選会)を突破して08年からの米ツアー出場権を掴むまでの6〜7年間、ほとんどすべてを陸路で転戦し、「3台の車を使い果たした」と笑って話してくれたことがあった。
今季は春先から不調が続いていた。

 「4連続予選落ちしたばかりだったけど、何が起こるかわからないと思って、ここへ来た」

 そして彼は優勝した。気が遠くなるような長い道を走り続けてきたからこそ、決して諦めない忍耐力を身に付け、自分は長く走ってきたのだという実感を強め、そこから生まれ出たものが「挽回できる」「勝てる」という自信になった。奇跡も信じ、運も信じ、何より自分を信じられるその気持ちが、ストリールマンを大逆転勝利に導いた。

 そう、ウィーもストリールマンも、長い持久走を耐え抜いてきたからこそ、勝利を掴むことができたのだと私は思う。

 ふと気付けば、ストリールマンが卒業したデューク大学は、ウィーがメジャーを制したパインハーストから、さほど遠くない位置にある。これもまた不思議な巡り合わせだったのかもしれない。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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